2021年1月31日日曜日

花だより 書道展コロナで中止 ネコヤナギ

 

  書道展コロナで中止
 せっかくお正月に書初めをしたのに、コロナ禍で書道展まで中止になった。「上手に書けたので賞に入ると思ったのに残念!」と思った子がいるようだ。 
  ~パソコンの普及で手書きや毛筆で書かれているものが少なくなってきました。年賀状の手書きも数枚しかなかった。今後ますますこの傾向は進み、子どもたちが大人になったときは、手書きすることは無くなってしまうかもしれない。これからは、自分で書くというより、ワープロに入っている字体(フォントは100近い種類がある)をその用途によって選ぶ能力が問われるようになるかもしれません。
 宿題で漢字の書き取りをしている1年生を見ていた3年生が、「書き順変だよ。ちゃんと書かないと3年生になって習字のとき大変だよ。」と注意した。スクールサポーター2名を採用することになり、履歴書が2通届いた。1通はワープロ、もう1通は手書きだった。とても丁寧できれいな字で人柄が分かるよう気がした。もう一人は、どんな人だが分からない。まだまだ手書き文化を大切にしなければならないと思う。
 手書きや毛筆の方が良いと思うもの、または身の回りで手書きや毛筆でかかれているものを子どもたちに聞いてみた。
   相撲とか、落語、お寺の看板など、古いものや寿司屋さん、そばやさん、和食の店の看板やのれんは毛筆が多いという話から、和風の食べ物の話になって、寿司のネタは、トロやいくら、ウニがいい!とか、丼物では、天丼、牛丼、親子丼がおいしい・・・という話に脱線してしまった。
 間もなく1人1台の端末が与えられる。ノートがなくなり、鉛筆がタッチペンに変わる。字が上手な子はいなくなる。その前に字の上手な先生がいない。


2021年1月30日土曜日

花だより デジタル教科書(文科省中間骨子) えんどう豆

 

 デジタル教科書(文科省中間骨子) 読売新聞 1月28日
 文科省はかつて、デジタル教科書について慎重な姿勢を見せていた。16年12月の有識者会議では、教科書は紙を基本とし、紙と同じ内容ならデジタルの併用も認めるとする最終報告をまとめた。その後、学校教育法が改正され、デジタル教科書は、19年度から紙の教科書に代えて使えることになった。このとき、「教育効果や健康面の影響について長期的な研究で検証し、知見を蓄積した上で施策を講じる。」とすることが盛り込まれた。さらに子どもの視力など健康への配慮として、使用を授業時間の半分未満に抑える基準も定めた。
 ところが新型コロナウイルスの感染が拡大した昨年、文科省は一転して、デジタル教科書の本格導入への舵を切った。一人一台の端末を配備する「GIGAスクール構想」の実現が、当初の「23年度まで」から、「20年度中」に前倒しされたためだ。「GIGAスクール構想の成否は、デジタル教科書にかかっている。」と強調する。これにより、これまでの基準を撤廃し、30分に1回、20秒程度目を休ませる。目と端末の距離を30センチ程度以上離すことに留意すると明記し、3月までに告示するという。
 コロナ禍を契機とする急展開に、文科省内では「流れと雰囲気に乗ってデジタル化してしまうと、簡単に紙に戻れない。学習効果が上がらなかったら大変なことになる。」と危惧する声もある。
 🤦‍♂️コロナ禍の今、「何でもやっちまえ!」ということか。現場の先生方は、ついて行くのが大変だ。この結果が働き方改革に繋がれば良いのだが?
 


2021年1月29日金曜日

花だより 「鬼滅の刃」の人気の理由 ハナアナナス

 

「鬼滅の刃」の人気の理由
 🤷‍♂️鉛筆、消しゴムなど、文房具のすべてが「鬼滅」という子がいる。映画も2回観たという。ディズニーの「アナ雪」やジブリ作品のようなファンタジー作品とは全く毛色が異なる「鬼滅の刃」が、なぜここまで人気が広がっているのか。
「死」と向き合うストーリー
 少年漫画のヒット作に共通している点としては「友情」「努力」「家族」「恋愛」「勝負」などが挙げられ、鬼滅の刃でもストーリーの随所にこうした要素が盛り込まれている。ただ、このような要素を盛り込んでいるマンガはほかにあるにも関わらず、なぜここまでの人気となったのか。他の作品と異なる点は、「死」に向き合うシーンが非常に多いことだ。ストーリーにおいて重要な役割を果たすキャラクターが次々と死んでいき、生きる価値を読者に考えさせる。キャラクターの死を含め、緊張と緩和が目まぐるしく繰り返されることも、読者をどっぷり鬼滅の刃の世界観にのめり込ませることにつながっているという。
 😒しかし、それだけでは、小学生に受けるとは思えない?
 「全集中、〇〇の呼吸!〇ノ型 霹靂一閃!」で始まる必殺技が大人気!
◎ストーリーが単純明快である。
◎鬼滅隊のリーダーの柱である9人のキャラクターが濃くておもしろい。
◎女剣士も数多く登場して、女子にも人気が高い。
◎死闘でありながら、ギャクマンガ風でおもしろい。
◎Lisaが歌う主題歌「紅蓮華」が良い。
  以上が、子どもに人気の理由らしい。
  幅広い年齢層でファンを獲得
 累計1億部という数字は、特定の層に支持されるだけでは達成できない数字だ。鬼滅の刃は若者から大人まで、年齢や性別を超えて支持されている。その理由としては、多くの層が共感できる家族愛や兄姉愛などがストーリーに盛り込まれているからだと言われている。
 また、鬼退治という分かりやすいストーリーの中で奥深い心理描写がなされている点も、子どもだけではなく大人を惹き付ける理由となっている。
 新型コロナウイルスも人気に追い風?
 人気はコロナ禍以前からのものだが、最近もその人気ぶりは健在だ。人気が維持されている理由の1つとしては、新型コロナウイルスの感染拡大にもあると言われている。巣ごもり消費が増え、動画サイトなどで配信されている鬼滅の刃の視聴回数が伸びた。
 😁コロナ禍によって旅行や外出などがしにくくなった分、自宅でアニメなどを観る時間が相対的に増えているからだと言われている。これもコロナが影響していたとは?コロナが長引けば、新たなマンガブームが起きるかもしれない。


2021年1月28日木曜日

花だより 学校の全国一斉休業で何が起こったか? ミカン

 

  全国一斉休業で何が起こったか?
 「新型コロナウイルスのパンデミックは、それまで見えなかったことを見せてくれている。壮大な社会実験でもある。」と言っているのは、青山学院大学特任教授 耳塚寛明氏である。
 大学では、オンライン授業を余儀なくされ、それが良いとする人もいるようだが、対面型授業がいかに優れているか改めて知ったのではないだろうか。
 学生たちの反応を肌で感じ取って、その場で説明を加える。学生の発言を聞いて、次の問いを変える。これは、対面型授業の醍醐味である。何より、オンライン授業の準備は対面型より何倍もの時間がかかる。疲労困憊で病気になる教官もいる。
 昨年春、教育界は全国的な休業期間を経験した。地域のよって差があるし、公立か私立でも影響は異なった。改めて学校の存在感に気付かされた契機になったのか、それとも学校などなくても、もっと効率的に学べると感じた人が多くいたのか。どんな変化をもたらせたのだろうか。 
 休業期間の存在が、子どもたちの教育格差を決定的に拡大する結果を招いたのではないか。オンライン授業であれば、家庭の情報通信技術(ICT)環境の優劣が学習効果に直接影響するだろう。紙の宿題によって休業をカバーした場合でも、その内容や保護者の支援が学びの成否を左右する。学校は、家庭の経済的、文化的環境の凸凹をならし平等化する役目を担っている。一時的に学校がうせたことで、家庭環境の影響がむき出しになったとしてもおかしくない。
 地方から東京の大学に進学した学生は、授業が全てオンラインになり、憧れていたキャンパスライフを楽しむことができないことに不満をこぼす。学校は、ただ授業を受ける場所ではない。コロナの収束(終息)を予想する専門家はいないのだから、コロナが社会生活に及ぼす影響は、だれも予想がつかないし、計り知れない。今は「忍」の一字で、壮大な社会実験の結果を待つしかないのか。


2021年1月27日水曜日

花だより 改革もいろいろ ミスモソウ

 

  改革もいろいろ 
 今の学校の重荷の一つは、間違いなく「改革疲れ」でしょう。コロナ対応に加えて、次々と業務が上から降ってきて息つく暇のない。力量のある教育長や校長が優先順位をつけて進めれば良いのだが、生のまま現場に投げたら、現場から「やらされ感満載」の悲鳴が出るのは当然です。
 コロナですっかり忘れ去られた格好になったが、大学入試共通テストの記述式問題の導入や英語4技能の民間資格検定試験活用が大きな問題になり、荻生田文科相の鶴に一声で中止となった。もし強行されていたら、今頃は大混乱に陥っていただろう。9月入学移行の話も紙一重の危ういところだった。できるかどうかわからないまま強引に突っ走る人がいる。正気かと疑うようなことを本気で考える人がいるようだ。「面従腹背」している場合ではない。誰かが体を張ってでも止めないと暴走する。格好のいいことを言う人は、責任はどうせ現場に押し付ける。他にもいくらでも例を思いつく。こういう強引で乱暴な「改革」に慎重なことを言うと、「既得権益を守ろうとしている」と根拠のない批判を受ける。改悪を止めるのは当たり前で、権益とは関係ない。それを言うなら「改革」をしたがる側だって、腹に一物あるのでは、怪しいものだ。
 行政は筋だ。一方、個々の事業者や団体は、筋よりも自分のところの損得を考える。それも当然ではある。教育の分野でも、そういうことがないとは言えない。改革に全て反対しているのではない。現状や過去の経緯に縛られず新しい形を開くことは重要である。情報化が進む中、体系的な学びを学校が独占する時代は終わりが近づいているのかもしれない。未来志向の改革は必要だ。「内外教育」 編集後記より R3.1.19から

2021年1月26日火曜日

花だより ICTと働き方改革 フウキギク


 ICTと働き方改革
 先生たちは、過労死ラインに手が届くような長時間労働を続け、さらにコロナ禍にあっても子どもたちの安全安心な学びの場を確保するために、念入りな消毒などこれまで以上の奮闘が続いています。
 ICTとは、人間の行う業務の一部を効率的に効果的に行うための技術です。銀行は、様々なデータを駆使して融資先の信用を審査するといいます。農業でもGPSによる自動運転のトラクターがどんどん普及してきています。土木工事の現場では、ドローン活用による測量が当たり前です。人手不足に悩む業界になくてはならない技術です。ICTでできる仕事はICTを活用し、人間でないとできない仕事により集中するのが世の中の流れです。
 しかし、学校ではICT化による業務効率化の話は、なかなか聞こえてきません。校務支援システムの導入は進みつつありますが、「校務遅延システム」ではないかと揶揄されるようなことすらあります。校務のICT化による働き方改革が進まない理由は多々あります。「教育にICTはなじまないという思い込み」「これまでの業務の流れをそのまま維持しようとする空気」は、学校現場だけでなく広く世間で共有されているような気がします。これまで内にも外にも、ICT化の本当の大切さと可能性が理解されていなかったのです。不十分で中途半端なICT化が今となっては大きなリスクとして顕在化してきました。
 マスクをすることに抵抗のあった欧米人が、コロナでマスクをするようになりました。日本では、マイナンバーカードの登録やキャッシュレス化が加速したと言われています。コロナでICTの理解がさらに深まることを期待します。


2021年1月24日日曜日

花だより 集合研修のリスク エリカ

 

 集合研修のリスク 研究団体の危機 
 「勉強は学校に行かないとできないもの」と多くの人が思い込んでいました。コロナ禍でリモートをやってみたら「意外にいいね!」ということになり、GIGAスクール構想の追い風になりました。
 教員の研修も同じです。これまで、集合研修が大前提でしたが、ネットを活用した研修がどんどん広がっています。Web上での研修は、学校を空ける必要もなく、時間の節約にもなります。もしかするとこれから長期休業中の勤務は、テレワークになるかもしれません。
 授業も研修も大きく様変わりします。そのためには、個人情報保護や活用の考え方、情報セキュリティの在り方など、早急な検討が必要です。
 変わろうとしているのは、研究団体です。研修をするためにいちいち集まっていては大変です。研究団体の在り様も大きく変わることになりそうです。わざわざ会費を払って研究団体に所属する教員が少ない現在、それに歯止めがかかるのか、それとも拍車をかけるのか、ときどき会って、「元気にしてる?最近、〇〇やってるの?そろそろ異動だよね。どうするの?」こんな会話ができなくなるのは残念な気がします。


2021年1月23日土曜日

花だより チョークとトークへのこだわりがコロナ対応遅れの原因 市田柿 公魚

 

 チョークとトークへのこだわりがコロナ対応遅れの原因
 日本では、ICT技術のそのものの技術はあっても、その活用がまだまだ進んでいません。
コロナ禍で、前例のない学校の休校が約3か月続きました。この間に問題になったのが、オンラン授業ができない学校の実態でした。
 日本の教育の良いところは、チョークとトークの秀でた教師の技にあります。ですから、当初はコロナで授業ができないことに理解を示していました。しかし、諸外国のオンライン授業の実態が伝わると、我が国の学校のICT活用が遅れていることが知れ渡り、何とかならないかという声が大きくなりました。
 文科省の調査によると、学校が独自に動画を作成して配信したのは10%、同時双方向型のオンライン指導は5%にとどまりました。ほとんどは昭和と何ら変わらない紙の宿題を出すしかなかったのです。
 日本の教師の質の高さ、指導力で学力は常にトップクラスを維持してきました。しかし、この成功が今のリスクを産んでしまいました。日本は「ICT先進国」だと思っている人が多いと思いますが、社会の中での活用はまだまだ進んでいないのです。ICTより、日本の教師の技術の方が上というのは思い込みです。もうチョークとトークの授業では太刀打ちできません。そもそもチョークとトークで勝負できる教師は、いないのではないでしょうか?


    


2021年1月22日金曜日

花だより ポストコロナ時代の学校情報のリスク管理 シンビジウム

 

 ポストコロナ時代の学校情報のリスク管理
   NPOほっかいどう学推進フォーラム理事 新保元康 「教育展望」10月号(2020)
 紙にこだわり、紙で情報管理するリスク
 日本はもはや「ICT活用後進国」です。今回のコロナ禍でこのことが明らかになりました。感染者、疑感染者の情報が紙に書かれ、FAXでやりとりされていたことが大きなニュースになりました。昭和の時代と何も変わらない脆弱な情報管理の中での保健所、病院など医療関係の皆さんの献身的な奮闘には本当に涙の出る思いです。決算印を押すためだけにせっかくのリモートワークを中断し感染の危機を冒して出勤する姿も話題になりました。諸外国では、感染者の把握と対応からマスクの平等配布まで、あらゆる面でICTを活用しスマートな対応をしているのに対し、日本は竹やりならぬ紙と鉛筆で立ち向かっていたのです。紙とFAXと判子で動いている日本の社会。昭和から何も変わっていない姿がここにきてくっきり浮かび上がったのです。これは学校も同じです。
 東日本大震災から10年、あの時、大事な公文書である指導要録の保管が大きな問題になりました紙で耐火金庫に厳重に保管されていた指導要録が津波で流されボロボロになりました。今は、デジタル化されて、校内のサーバーに保管されているので大丈夫だと思っている学校が多いでしょうが、今の時代の危機管理としては全く不十分です。今はクラウド保管の方が安全だといわれる時代なのです。
 GIGAスクール構想は、クラウド活用が大前提です。クラウドなしでは、PCは満足に動きません。一刻も早くこの状態を解消する必要があります。
 紙にこだわるリスクは、他にもあります。個人情報の漏えい経路・媒体別の発生比率が、実に63.1%を占めているのです。私たちは何となくICT関係から起きると思いがちですが、実際には紙媒体からの漏えい事故が圧倒的に多いのです。特に学校では、もったいない精神で、裏紙を活用しています。裏紙に個人情報が書かれていて、大変なトラブルになるケースもあります。「紙だから安全、デジタルだから危険」ではないのです。
 


2021年1月21日木曜日

花だより 女子高生のスカートの丈が変わった? 林檎

 


 女子高生のスカートの丈が変わった?
 💁‍♀️極端なミニスカートにルーズソックスは流行したのは1990年代後半だった。流行に乗って制服を着崩し、学校でさんざん注意されたが、「真面目だと思われたくない」という反抗心もあり、教師の目を盗んで、スカートを短くし、靴下を替えた。
 現代の高校生は、品行方正に制服を着こなす印象がある。今は校則の範囲内で制服の着こなしを工夫する方法をSNSで検索できる。「おしゃれは私服で十分できる」と取材に応じた女子高生は言う。
 2010年代に入ってから制服の着崩しが見られなくなった。その要因は、かわいくてデザイン性の高い制服が増えたことが挙げられる。加えて、制服風の衣装が印象的なAKB48の台頭で制服の価値が上がったという見方もある。
 制服の着崩しは自己主張の表れでもあった。しかし、SNSが普及すると、制服以外にも自己主張できるツールができ、考え方が変わった。逆に目立つ格好をするとグループlineでいじめの標的にされる可能性もあるので、立場が悪くなるのを恐れているのではないと分析する人もいる。
 また、自己PRの書類などで受験生を多面的に評価するAO入試の増加も背景にあると指摘する教育ジャーナリストもいる。高校生たちは、『大学に入る近道は優等生になること』と捉える傾向にある。校則を守らなければならないという意識が高く、素直な高校生が目立つようになったという。読売新聞 1月19日「生活調べ隊」の「今どきの高校生は制服着崩さない」より
🤷‍♀️生徒指導担当教員は、これまで校則を守らせることに躍起になっていた。高校生の着崩しがなくなったのは、教師による生徒指導の賜物と思っていたが、勘違いだったことが分かった。どっちにせ良い傾向にあると思った。しかし、校則を守るようになると、「制服は与えられるもの。何の疑問を抱かず、受け身になると、思考停止状態になってしまうのではないか。制服や校則に限らず、自分で考える習慣を養ってほしい。」と記事を締めくくっている。ミニスカートにルーズソックス世代が親になり、「スカートの丈、それでいいの?」と娘の言うらしい?

今年もオホーツクに流氷がやってきました。



2021年1月20日水曜日

花だより 予習・復習はしなくてもいい? ストック

 

 予習・復習はしなくてもいい?
 🤷‍♂️「予習復習が大事」と、教師なら必ず言う。しかし、「毎日、全ての教科の予習と復習することなんてできない。授業時間で初めて見聞きする内容をその場で理解し、たちどころに身に付けるのが格好良い、定期試験も、何もしないで採れる点数が自分の実力である。」くらいに思っている子どもの方が多い。
 これからの教育は、予習や復習することで、なにより多くの知識を定着させることを目的としていないのだから、こう考える子どもにとっては大歓迎の時代になった。主体的で対話的な深い学び「議論しながら考えて学ぶ」(最も成長に資するとされる)学習方法が、教室で展開されるようになった。教師は、「教え込み」より、議論の方向性をリードしたり、考えさせるヒントを出したりと、子どもたちの力を引き出す役割が大きくなる。
 「GIGAスクール構想」の1人1台の情報端末が生かされれば、事前学習映像を提供することで、最低限の知識を持たせた上で、対話的授業を展開することができる。
 普通の教師は、ただ話すだけ。偉大な教師は、子どもの心に火をつける。
 大学入試試験が大きく変わり、覚えた知識を吐き出させる問題から、問題文をじっくり読んで考えなければ解けない内容になった。これからの教師の役割は、「予習と復習をしなさい。」と言うのではなく、子どもの持っている意欲を最大限に引き出すことだ。
 👀ただし、語彙の少ない、知識の浅い集団の話し合いは、議論にならず、おしゃべりだけで終わる可能性が高い。教師には、より高度なことが求められる。


2021年1月19日火曜日

花だより 教室のつくりも変えられる クンシラン

 

  教室のつくりも変えられる
 公立小学校の1学級の児童数の上限が引き下げられるというニュースが飛び込んできた。少人数学級の実現は長年の悲願だったので、喜ばしいことである。
 同時に不安も生じてきた。40人学級が35人学級になったと聞くと、多くの人は額面通り受け止めるだろうが、そもそも1学級当たりの平均児童数は23人ほどで、36人以上の学級は1割もない。なのに35人学級という言葉だけが一人歩きして「上限を下げたのに、一人一人に目が届かないのか」「学力は向上しないのか」「上限を下げたのに、クラスターを発生させたのか」などの批判が出て、かえって教員を追い込みはしないだろうか。
 そうならないために、加配教員を減らしてはならないし、働き方改革で指摘された「必ずしも教員が担う必要のない」業務の見直しが重要だ。
 しかし、それ以上に大切だと思うのは、教室のつくりを見直すことだ。縦9m×横7m×高さ3mという一般的な教室の大きさは、明治時代に決まったものだ。80人の児童をすし詰めにして一方的な教え込みの授業をしていた当時と、35人以下の児童の「主体的・対話的で深い学び」の授業実践や各児童へのきめ細やかな配慮、そして感染症対策のためのこまめな換気などが求められる現在とでは、教室のつくりが違って当然ではないか。
 けれども、児童数を減らそうという話は出ても、教室のつくりを見直そうという話はついぞ聞かない。教室の上手な使い方を建築学者と一緒に検討してみてはどうだろうか。
                 青山学院大学教授 西島 央 「内外教育」1月12日より
 「大は小を兼ねる」教室は広い方がいろいろ使い勝手がいい。



2021年1月17日日曜日

花だより Withコロナの時代 ふきのとう

 


  Withコロナの時代
 変化の大きな社会を生き抜いていくためには、何もかも自分で抱え込むのではなく、外部の人たちの助けを受ける力、すなはわち受授力と、必要な助けを与える力、すなわち与授力が必要とされる。人には迷惑かけません!と突っ張って孤立するのではなく、柔らかく助け助けられる人間になることで社会は温かく強くなれるのではないか。それは個人個人の態度・考え方だけではなく、いろんな組織(学校)にも通じる。
 こう主張するのは、坂東眞理子(昭和女子大学理事長)である。
「行雲流水」 雲が行き 水が流れるように 自然に身を任せる。
 コロナ禍の今、オレはオレ、好き勝手に行動されては困る。
 コロナでマスクをするのも、不要不急の外出を避けるのも、飲み会を控えるのも、自分がコロナに罹らないだけでなく、人に移さないためである。疑わしいときは家に居る。仮に罹ってしまった人がいても誹謗中傷などしない。水の流れに独り逆らってはならない。社会が本来あるべき、助け助け合いの精神が今必要なのだ。コロナは、このことを教えてくれた。
 コロナが通り過ぎるまで「行雲流水」じっと我慢のときである。


 

  

2021年1月16日土曜日

花だより 子育てもYouTubeで学ぶ? カニサボテン

 

 子育てもYouTubeで学ぶ
 子育ては、親から子、子から孫へ、代々受け継がれていくものだが、核家族でそれが失われてつつある。その代わり、情報化社会になり、様々な子育て理論や情報が入るようになった。しかし、親の教育力は、上がったのだろうか?
 現代の若者は、新聞や本は読まない、テレビのニュースも見ない、見るのはYouTube。情報化社会にあってコロナで緊急事態宣言が出ても、世の中で何か起きているか、案外疎いという。分からないこと、知りたいことは、すべてYouTubeからだ。料理と同じように子育てもYouTubeで学んでいる母親がいるのではないか?
  ~子どもはこうして生き方を学びます~
   作:ドロシー・ロー・ノルト 訳:吉 永 宏
 ✕批判ばかり受けて育った子は、非難ばかりします。
 ✕敵意に満ちた中で育った子は、だれとでも戦います。
 ✕ねたみを受けて育った子は、いつも悪いことをしているような気持ちになります。
 ◎心が寛大な人の中で育った子は、がまん強くなります。
 ◎はげましを受けて育った子は、自信を持ちます。
 ◎ほめられる中で育った子は、いつも感謝することを知ります。
 ◎公明正大な中で育った子は、正義感を持ちます。
 ◎人に認めてもらえる中で育った子は、自分を大事にします。
 ◎仲間の愛の中で育った子は、世界に愛を見つけます。
                        


2021年1月15日金曜日

花だより 教育の新たなライフスタイル セントウソウ

 

 教育の新たなライフスタイル
 教育の世界は、教師や子どもの夢、情熱に左右されやすい部分が多分ある。教師が情熱をもって授業を行えば、どのような教育方法でも成果は上がる。
 しかし、コロナ禍でこれまでできたことができなくなった。端末が一人一台配備される「GIGAスクール構想」にあるように、教育のデジタル化が急速に進もうとしている。教室での紙とチョークの教育の方が、子どもたちの協働学習や深い学びには適合しているのかもしれないが、コロナ禍で、人との距離をとることが必須の今、デジタル環境整備と支援をしっかりして、新たな教育に意味を見出すことが今の流れになっている。
 集団重視の学校教育が苦手で、不登校に陥る子どもがいる。閉鎖的で密な教室での人間関係は、いじめの温床でもある。遠隔教育、個別学習、緩やかな学校行事や部活動、距離のある友人関係は、子どもたちの心を軽くする。放課後の自由時間、密を避けた家庭や地域で過ごす時間、ウェブでの自宅学習は、子どもの蜜な学校生活一辺倒の生活からの解放をもたらす。
 受験競争に勝ち抜き、都会の大企業に勤め、密な付き合いの会食に明け暮れるエリート生活から、地方に住み、自分の好きなことを選び、人との距離を取り、ゆったりとした時間の流れるライフスタイルを考えるのもよい。社会の転換期には、人々の仕事や生活が大きく変わる。新型コロナ後のさまざまな変化は、必須である。蜜を避ける新たな教育やライフスタイルに夢をはせたい。
          敬愛大学客員教授 武内 清(「内外教育」1月号巻頭言より)
 ゆとり教育が導入されたとき、多くの教育関係者は、これで日本の教育は変わると思った。しかし、学力論争が起こり、ゆとり教育が戦犯にされ、振り子は大きく戻された。
 ゆとり教育より、今回の改革は根本を揺るがすものだ。ハレーションが起きるのは必須だ。初夢が「まぼろし~」にならなければいい。平時に戻ったとき、どう対応するか心配だ。
 


2021年1月14日木曜日

花だより 「あいさつ」は形ではない 椿

 

 ???「あいさつ」は形ではない???
🤷‍♂️ある学校に教育現場の視察に行ったときのことです。廊下のはるか向こうから大きな声で「ちわ~す!」とある女子生徒に次々とあいさつされました。案内してくれた校長先生は得意げな顔でおっしゃいました。「うちの生徒は元気よく、しっかりあいさつができるでしょう。」確かに元気いっぱいのあいさつ。でもその子たちのあいさつには何も感ぜず、しっかりしたあいさつだとは思いませんでした。
😊その日の午後、別の学校に行きました。ある生徒がすれ違うときに、私の目をしっかり見て、「こんにちは。ご苦労様です。」15度くらい静かにしっかり“目で”おじきをしてくれました。その姿がとても清々しく、とてもいい気持になりました。でも、決して大きな声ではありませんでした。
💖二つとも確かにあいさつですが、何が違っていたか、それは“心”です。あいさつは形ではないのです。「大きな声であいさつしなさい!」と形だけを求めて、それで“良し”としてしまうのは間違いです。言葉はなくても相手の顔と目をしっかり見て、ニコッと笑顔で目礼するだけでも素晴らしいあいさつです。大切なのは声の大小ではなく、相手の心に届くようなあいさつができるかどうか。相手を思う“心情”になっているかどうかです。
👀あいさつは、心と心が触れ合うコミュニケーションが子どもたちのイキイキとした生活力や自立性につながっていくパワーになります。心をつなぐあいさつができる子は、自分で計画を立てて、勉強もできるようになるし、目標や目標を掲げて生活できるようになります。


2021年1月13日水曜日

花だより 「あなた、くれぐれも無理をしないでね。」 クリンコザクラ

 

 「あなた、くれぐれも無理をしないでね。」
 10年前の東日本大震災、被災地で救援活動をしていた自衛隊員の夫に送ったメールである。返信は、「今、無理をしないでどうする。」だった。
 あれから10年、今また、「くれぐれも無理をしないでね。」とメールする医療従事者の家族がいる。返信もまた同じだろう。コロナ患者を受け入れている病院の関係者には、ほんとに頭が下がる。
 それを考えれば、自分たちに今できることは、不要不急の外出は控えること、マスクをすること、手洗いを徹底して、3密を避けることだ。緊急事態宣言が出なくてもやらなければならない。今は我慢のときだと思っている飲食店の経営者も多いはずだ。
 緊急事態宣言後、東京の繁華街の人ではあまり減っていないという。人はときとして誰かのせいにしたがる。テレビのコメンテーターは、こぞって政府の対策や首相を批判する。
 あるアナウンサーは、「どうか不要不急の外出は避けてください!」と悲痛な表情で視聴者に訴えた。今は、国民みんなが無理をしなければならないときだ。
 

2021年1月12日火曜日

花だより 子育て語録(健全な育成を阻害する要因) カンザクラ

 

  子育て語録(健全な育成を阻害する要因)
・よく遊び、よく食べ、よく寝る子どもは、健康的で好奇心が強く生活力がよく育つ。
・親は辛いことを取り除いて与えるが、子どもは経験しながら学ぶことを忘れてはいけない。
・子育てが成功したかどうかは、40歳まで見届けないと分からない。
・科学技術の進歩は、人間を豊かにするが、有り余って与えられた豊かさや便利さは、子どもの心や身体の発達を歪めてしまうこともある。
・近頃の子どもには心身症が増え、胃潰瘍が多く見られるという。その原因は、精神的なゆとりが生活の中になくなり、思いっきり遊ぶことがないことにある。子どものストレス解消法は遊ぶこと
・現在の子どもは、早熟であるが、精神的には幼稚で身体とのアンバランスに悩んでいる。
・PTAの本質は何か、今一度考えてみよう。
①子どもの成長を願って、それぞれの親と教師とが話し合う場
②子どもを中心に据えて、学校との役割分担、責任を考える場
③親と教師が、子どものために協力して活動する場
④子どもと親と教師が、触れ合いを深める場
・イベントや懇親会をするだけの組織ではない。
・父親と母親がそろって厳しく叱ったら子どもは、行き場所がない。夫婦で役割分担を決める。
・子どもにとって困ることは、父親と母親で違うことを言うこと(無関心と過干渉、厳しさと溺愛、過保護と甘やかし)
・子どもの要求に何でも応えることは、真の愛情ではない。とにかく泣く子に、すぐに何でも買い与えることはよくない。
・子ども部屋の功罪を考える。そこは秘密基地になっていないか?
・家庭(親)が、反省すべきことは、放任主義と無関心、過保護と甘やかし。自分の子どもだけはという親のエゴ。
・おんぶ、だっこ、添い寝が大切。愛情の量は、高価なものを買い与えることではない。
・自分の子どもは悪くない。「社会が悪い、先生が悪い、よその子が悪い」という風潮では、素直なよい子は育たない。
・親も教師も社会も、はじめから子どもにレッテルを貼っていないか反省する。
・子どもにとって、親の甘やかしは、わがままな子を育て、構い過ぎや口やかましさ(過保護:過干渉)は、自立心の芽を摘む。
・20%近い子どもが、親と一緒に食事をしないという。親と子どものどちらに問題があるか?
・近頃の子どもの異常 
①朝食抜きで登校する。
②倒れるとき、手をつかずに顔面を打ってしまう。
③我慢できない子は、他人を思いやることができない。 
④自然の中に連れ出しても、自然にかかわる遊びができない。
⑤特定の家族と家の中でしか話せない。
◎人間の教育は誕生からはじまり、母親こそ最初の教師。だっこや膝の上からはじまる。
◎子どもからの信号を見逃していないか。事が起きてからでは遅すぎる。
◎家族の不仲は、子どもの情緒を不安定にさせ、心の素直な成長を妨げる


2021年1月11日月曜日

花だより 少年院で育てる 胡蝶蘭

 

 少年院で育てる 非行少年のほとんどは、学力の低い子 
 非行を犯した中学生が入院する少年院で、入院者にテストをした結果、小学3年生以下が約3割、4年生以下までで6割近くになった。九九もわからず、漢字の読み書きも満足にできない。「1mが何㎝か知らない」「窓を3分の1開けることができない」『ソ』と『ン』、『シ』と『ツ』の区別が分からない。世界地図で日本の位置が分からない。地球が丸いということが理解できていない子もいる。
 不安定な家庭環境の子どもは、学習する環境にないこともある。勉強がわからないので小学校でも居場所がなく、中学生になって非行化していく場合が多い。教師に暴力を振るって少年院に来た子は、「中学校に登校しても教室ではなく、仲間のたまり場ばかりに行っていた。授業はわからないから、つまらない。友だちとしゃべっていた方がおもしろかった。でも、今は勉強しないとまずいと思っている。今は本も読めるようになった。」という。
 「学力は善悪の判断や行動の結果を推測する力の基礎になる。小中学校9年分を少年院の1年程度ですべて覚えさせるのは難しい。基礎学力の習得は、少年たちの狭く偏った世界観を是正することになる。


2021年1月10日日曜日

花だより 「指導が入る」「指導が入った」生徒指導の専門用語 トキワコザクラ

 

 「指導が入る」「指導が入った」生徒指導の専門用語
 ~学校では「指導する」とは言わないで、「指導が入る」と言う?~
 生徒指導の先生がよく使うのが、「指導が入る」とか「指導が入った」という言葉です。通常の会話では、単に「指導する」と言いますが、あえて「指導が入る」というには意味があります。
 ≪指導が「入る」とは?≫
 「指導が入る」というのは、教師が指導をした結果、児童生徒が十分に反省し、教師にとって望ましい行動変容がみられることを含意する言葉です。「指導した」だけでは、生徒指導にはならないのです。
 「指導が入った」とは、どういう状態なのか?
 指導する目的は、困っている状態から、本人も周囲も望ましいと考える方向へと導くことです。教師からの強い指導(威嚇的な叱責等)によって、児童生徒が怯えやその場しのぎのために、一時的に行動を改善させた場合には、「指導が入った」とは言いません。指導とは、児童生徒自身の気づきを促し、自ら適切に判断し、行動する力を育むことだからです。児童生徒が指導内容をしっかりと理解し受け入れ、自ら反省し行動を改め場合に、はじめて「指導が入った」と言うのです。
 ≪「指導が入る」ためには≫
 問題行動を起こした児童生徒が、納得・反省という意味で指導を受け入れることが「指導が入る」ことです。指導を受け入れられるかどうかは、教師と児童生徒との信頼関係によるところが大きいのです。
 「指導が入る」ためには、受け入れる側の児童生徒が自身の心のコップを上に向けることです。そのコップに指導によって水(説諭)が注がれ、水が溜まっていくことで自分の心の中で反省することが可能になります。心のコップが下を向いたままで指導すると、水ははじかれ周りに飛び散ります。これではいくら丁寧に話をしても指導は入りません。コップがどっちを向いているか、生徒指導の基本は、児童生徒との信頼関係を築くことです。




2021年1月9日土曜日

花だより 世界で一番小さな金メダリスト 清水宏保の強さに秘密 寒椿

 

 世界で一番小さな金メダリスト 清水宏保の強さに秘密
 長野オリンピックスピードスケート金メダリスト 清水 宏保氏の講演会
 “身長180㎝以上なければ世界では通用しないと言われて発憤!!”
長野オリンピックの最大のライバルだったウォザースプーン選手は190㎝の巨漢、清水選手は162㎝で一番上の表彰台に上がっても2位のウォザースプーンより低かった。
 世界との身長差を筋肉量(体幹の強さ)と体のこなし(スケート技術)でカバー、太ももは現役時代68㎝、今でも60センチをキープしている。(ズボンはいつも股の内側がすり切れ状態だった。)
 スケーティング技術は、小学生の時にほぼ完成していた。「1万時間の練習で一流になる」と研究データがある。1万時間は、一日3時間で10年、6時間なら5年生で達成できる。ゴルフの石川遼選手や卓球の福原愛選手など、最近は小学校に入る前からはじめて中学生で既に一流という選手が多い。
 一日練習を休むと取り戻すのに3日かかる。だから練習は絶対に休まなかった。スケート始めるきっかけは、ぜん息を克服するためだった。体が弱くて、背が低い、そんな逆境から這い上がることで精神的に強くなった。それがこんな小さな体でもメダリストになった理由です。最後に、子どもたちには、目標をしっかり定め、努力することの大切さを伝えてください。と講演を締めくくりました。


2021年1月8日金曜日

花だより ただ本をたくさん読んでも読解力は身に付かない。 テンドロビウム

 

 ただ本をたくさん読んでも読解力は身に付かない。
 ”計算力と並んで重要なのが読解力です。しかし、今の子どもを取り巻く環境は、親の時代とは様変わりし、文章に触れる機会が格段に少なくなっています。そのため子どもたちの読解力の低下は著しく、結果として算数や理科、社会の文章題を読みこなせず、理解できずに正解できない。また無解答が多くなっています。
 すべての学問は「読解力」がある。
 筆者の言いたいことを読みとるためには、いらない部分を削って、それでいて重要な部分だけを読みとるという練習をすることです。その手っ取り早い方法が「○○字要約」です。
《○○字要約とは?》
 そもそも読解力が低い人は、本を読んでも書いてある内容が全く頭に入っていないのです。「読解力」とは?簡単に言えば「何が言いたいのか(書いてあるのか)」を読みとる力です。」
 新聞にしろ、雑誌や教科書にしろ、より詳しく説明するために、複雑で長い文章になっているのですが、結局、言いたいことはいくつかにしぼられるものです。
 文章はいくつかの段落からなり、段落はいくつかの文からなり、文は主語と述語からなりたっています。ですから、「主語と述語を正しく読みとること」が読解力の基礎と言っても過言ではないのです。
《○○字要約にチャレンジ》
 「動物園で人気者のペンギンは、空を飛べないが鳥である。」
 この文を、10字以内(句読点を含む)で要約するとどうなるでしょうか。
 要約するのですから、文の意味を変えてはいけません。それに、字数が制限されているので、あまり重要でないことは、けずらなければいけません。その結果、必然的に主語と述語だけを見つけだすことになります。
 答えは「ペンギンは鳥である。」(10字)になります。
 全国学力調査で正答率が低いのが、この「○○字以内に要約しなさい」という問題です。


2021年1月7日木曜日

花だより 二宮尊徳の報徳訓 ハコベ

 

 二宮尊徳の報徳訓
 教育委員会には、各団体から様々な情報誌が送られてきて回覧されます。特に年末年始は多くなります。そこで目に留まったのが、北海道報徳社の「北海道報徳情報(新春号)」です。今でも校庭に「二宮尊徳の像」がある学校があります。その台座に「報徳」と刻まれています。その「報徳」の意味を知っている人は少ないでしょう。

「報徳訓」とは、二宮尊徳が自分の考えである報徳思想について分かりやすくまとめたもの
 父母の根元は天地の令命に在り
 身体の根元は父母の生育に在り
 子孫の相続は夫婦の丹精に在り

 父母の富貴は祖先の勤功に在り
 吾身の富貴は父母の積善に在り
 子孫の富貴は自己の勤労に在り

 身命の長養は衣食住の三つに在り
 衣食住の三つは田畑山林に在り
 田畑山林は人民の勤耕に在り

 今年の衣食は昨年の産業に在り
 来年の衣食は今年の艱難に在り
 年年歳歳報徳を忘るべからず

 一連では、自分の存在を明らかにせよと言っています。
 二連では、自分を取り巻く文化を説いています。
 三連では、勤労による生命の存続を説いています。
 四連では、道徳と経済を一歩前進させる心得です。

 🤷‍♂️昔は、どこの学校にもあった「二宮尊徳の像」には、こんな思想があったのです。 


2021年1月6日水曜日

花だより 「口取り」て何? カンアオイ

 

 「口取り」て何?
 🤷‍♀️年の瀬も押し迫ったころ、仏壇のお供え物を買いに近くにある北見の老舗銘菓を訪ねた。すると慌てて入って来たご婦人が、若い店員に「『口取り』ありますか?」と聞いた。店員は首をひねり「『口取り』って何ですか?」と答えた。
「あっ!、そうなの?」と夫人も首をひねり出て行った。「口取り」は、お節料理の添えられるエビやタイなどを模った和菓子だ。菓子店に「口取り」が無いのかと店内を見渡したが、なかった。
 🤦‍♂️「口取り」は、どうも北海独特のものらしい。子どもの頃、お正月には必ずお膳の横にあったが、最近は見られなくなった。若い店員は、知らないかもしれないが、お菓子屋の店員なら知っていなければならないだろう。もしくは、「すみません。聞いてきます。」くらいの対応はすべきだと思った。
 😁こう思うのも自分が歳をとった証拠だろう。若い店員を責めるわけにはいかない。自分は新しいモノを知らないのだから…、こうしたことがこれから多くなりそうだ。これも新しい生活様式なのだろうか。


2021年1月5日火曜日

花だより 冬休みだからといって特別扱いしない! 梅

 

 冬休みだからといって特別扱いしない! 
 長期の休みになると、とかく家庭では、子どもに対して放任するか、かまい過ぎの傾向になりがちです。学校からは、「子どもに自主的に生活させるよう!」と一日の生活表や休み中の生活設計を子どもたちに立てさせます。担任は必ず「無理のない計画を立てて頑張って下さい。」というコメントを付けますが、実際に守れるのは何日あるでしょうか? 
 生活リズムは、それぞれの家庭で違いますが、休みだからと特別にしないで、起きる時刻、寝る時刻など学校に通っているときと同じリズムにすることをすすめます。特に年末年始を挟む冬休みは、生活リズムが乱れがちになります。
 休みに入って3日間で宿題を終わらせて、その後は遊びに全集中! 休みは長いんだから、まずは遊ぶ。どちらもよくありません。
『学習』を『楽習』にするために・・・つまらなそうにやるのと笑顔でやるのでは、学習効果が全く違います。
「作り笑顔でやっても学習効果はある!」
 ストローをくわえて30分勉強すると60分やったくらいの効果がある?
 笑顔だと脳が活性化するのです。ストローを加えると自然と笑顔の表情になります。それは作り笑顔ですが同じ効果があるそうです。休み中ストローをくわえて勉強してみてください。ちなみに笑顔で家事をすると効率が上がるそうですので、お母さんも試してみてください。


2021年1月4日月曜日

花だより 教えたことと身につけたことは別 オトメコザクラ

 

 教えたことと身につけたことは別
  辻村 哲夫(教育学者) 「教育展望」11月号より
 新型コロナウイルスがさまざまな課題を白日の下に晒している。教育では、学校のICT環境整備の立ち遅れの実情をあからさまにしたのが典型例だが、「教師が教えたこと」と「子どもが身につけたことと」の違いを痛感させたのもその一つだといえる。
 オンライン授業での指導の難しさ 家庭にいる子どもたちを学びに向かわせること自体難しい。まず教師はその日・その週の時間割を徹底させることにエネルギーを費やす。授業も絵や図などを見せて工夫して指導するが、すべての子どもが敏感に反応してくれるわけではない。分かっているのかいないのか労力がいる。そして、指導したことを理解していない子どもの存在を後で知るのである。
 オンライン授業では、対面授業のときより丁寧に教えたつもりだったのに、子どもたちに十分伝わっていない、子どもたちに身についていないことが少なくなかった。
 翻って、対面授業を考えると子どもたちの顔で分かっていると思ったのは、教師の思い込みで、教育内容の消化のため、一方的な授業、時間に追われた授業になりがちで、実はもっと深刻な事態が起こっているのではないか。
 「教えたこと」と「身につけたこと」の乖離をできる限りなくす。このことは、教育改革検討の第一歩といわなければならない。乖離があればあるほど改革案は絵にかいた餅になってしまうからである。
 新型コロナウイルスには、主観的な願望や恣意的な思い込みでは立ち向かえない。その抑止には科学的知見に基づく対応だけが有効なのである。子どもの発達段階、子どもの受容力を無視した教育は形だけのものになってしまう。実践の経験や子どもの医学的、心理学的な発達状況等を正しく踏まえて教育でなければ成果は上がらない。
 このことを前提に教師はできるだけ多くの時間とエネルギーを直接子どもたちの指導に充てる。指導にあたっては教師はその指導力と創意工夫を存分に発揮すること、これ以外に子どもたちに真の力をつけられない。


2021年1月3日日曜日

花だより 大切なことはみんな知床が教えてくれた スノードロップ 

 

 暮れにBSで「男はつらいよ」寅さんシリーズで、マドンナは竹下景子、三船敏郎や淡路千景が出演する知床を舞台とする再放送がありました。そこで思い出したのが、ミスター知床と呼ばれた斜里町の元町長牛来 昌氏の著書「大地の遺産」と記念講演での話です。 
 「大切なことはみんな知床が教えてくれた。」
 午来さんは、100年後、いや、1000年後の知床の森のありようを描きながら仕事をしてきた。本書にも「自然と正面から向き合おうとすれば、人は百年単位の時間のものさしが必要です。」という言葉ある。
 「知床ほど素晴らしいところはない」
 世界自然遺産登録にかかわった3人~羅臼町役場の係長さんと動物写真家、そして、スキューバーダイビングのインストラクター(水中カメラマン)
 世界中を回ってきたけれど、雄大な自然が残っている場所はいくらでもある。しかし、知床は、流氷の恵みがもたらす豊かな自然の中で、豊富な漁業資源と多種な海の生き物、そして、ヒグマ、エゾシカ、キタキツネなどの動物やオジロワシやオオワシ、シマフクロウなどの貴重な鳥たち、その中で人間と共存している。“知床の生態系は世界で類を見ない”
 この3人は、地元の人ではなく、皆さん本州から来られた人たちです。知床に来て、知床の素晴らしさに魅了され、定住するようになったそうです。
「地元の人は、これが当たり前だと思っていて、知床の素晴らしさに気づいていない。でも、この豊かな自然も年々失われてきています。海の中はゴミだらけですよ。ヒグマが民家の冷蔵庫を開けて物色したのも、元は人間が山の中で捨てたお菓子やジュースが原因なんです。環境問題は非常に難しい問題ですが、今回の登録をきっかけにみんなで自然環境について考えてもらいたい。そして、子供たちには、まず自然の素晴らしさを体験を通して学ばせて欲しい。」と訴えていました。


2021年1月2日土曜日

花だより キャッシュレス通帳レスに判子レス オモト

 

 中国より遥かに遅れているデジタル化
 暮れの買い物、ソーシャルディスタンスでレジには、いつもより超長蛇の列、前のおばちゃんはカゴ3つに山のような買い物、精算が終わると徐に財布から札と小銭を出し始めた。やっと番になったが、d払いができないことが分かり、カードで支払った。キャッシュレス化が進むとレジ待ちも緩和されるのにと思った。
 暮れに「世界の覇権を狙う中国」という特番を見ていると、中国のデジタル化は凄まじいものがある。スマホ決済は当たり前で、顔認証だけで買い物ができるという。中国人は、科学技術の優れた日本に憧れて来るのではない。日本に来て感じるのは、中国より10年遅れていると思うらしい。
 キャッシュレス 通帳レスに 判子レス
 明治の初め、判子かサインかで論争があった。当時は字が書けない国民が多かったことから判子が採用されたという。この決定が日本の判子万能主義となったのである。
 ただし、明治政府内では、サインと併用しながら、字が書ける人が増えるのを待つべしとする考えもあった。
 河野行政・規制改革相が、全省庁に行政手続きで押印を使用しないよう要請した。1世紀半を経て論争が再開したといえるかもしれない。判子に愛着を持っている人も多くいるだろう、だがデジタル時代に社会全体が対応するのは、いつまでも漫然とは続けられない文化なのだろう。(読売新聞「編集手帳」より)
 👀コロナで「新しい生活様式」に早く慣れなければならない。
 

2021年1月1日金曜日

花だより 元日からお金は使わない。 松 丑年

 



  牛歩の如く 一歩一歩 着実に
 「元日からお金は使うものではない。」と昔の人は言いました。使いたくても使えない元日になりそうです。大晦日、東京ではコロナ感染者が1300人を超え過去最多を更新しました。小池知事は、「静かなお正月を家族で、ホームステイで送ってください。」と都民に呼びかけました。2021(令和3年)は、厳しい幕開けになりました。
 年末のテレビ番組でした。芸人でクイズ王のカズレーザーさんが自衛隊学校の一日校長になって、自衛隊の幹部候補生に訓示した言葉に感動しました。
 「あなたたちが流した汗のおかげで、私はヘラヘラ笑っていることができます。」
 政府の対応を批判し、国のトップが強力なメッセージを発することを期待するのではなく、「誰かの努力のおかげで、自分は生きている。」今は、一人一人の自覚が必要なときです。