改革もいろいろ
今の学校の重荷の一つは、間違いなく「改革疲れ」でしょう。コロナ対応に加えて、次々と業務が上から降ってきて息つく暇のない。力量のある教育長や校長が優先順位をつけて進めれば良いのだが、生のまま現場に投げたら、現場から「やらされ感満載」の悲鳴が出るのは当然です。
コロナですっかり忘れ去られた格好になったが、大学入試共通テストの記述式問題の導入や英語4技能の民間資格検定試験活用が大きな問題になり、荻生田文科相の鶴に一声で中止となった。もし強行されていたら、今頃は大混乱に陥っていただろう。9月入学移行の話も紙一重の危ういところだった。できるかどうかわからないまま強引に突っ走る人がいる。正気かと疑うようなことを本気で考える人がいるようだ。「面従腹背」している場合ではない。誰かが体を張ってでも止めないと暴走する。格好のいいことを言う人は、責任はどうせ現場に押し付ける。他にもいくらでも例を思いつく。こういう強引で乱暴な「改革」に慎重なことを言うと、「既得権益を守ろうとしている」と根拠のない批判を受ける。改悪を止めるのは当たり前で、権益とは関係ない。それを言うなら「改革」をしたがる側だって、腹に一物あるのでは、怪しいものだ。
行政は筋だ。一方、個々の事業者や団体は、筋よりも自分のところの損得を考える。それも当然ではある。教育の分野でも、そういうことがないとは言えない。改革に全て反対しているのではない。現状や過去の経緯に縛られず新しい形を開くことは重要である。情報化が進む中、体系的な学びを学校が独占する時代は終わりが近づいているのかもしれない。未来志向の改革は必要だ。「内外教育」 編集後記より R3.1.19から
0 件のコメント:
コメントを投稿