~高梨沙羅の強さの秘密~
ジャンプ選手だった父親から小さいころからジャンプをやらされたというイメージがあるようですが、「普通の子だと思ったらだめ。普通の子どもは親に言われてやるものだけど、あの子は違う。あの子は全部自分でやる子だから!」
天才ではなく努力家 「そこまでやってしまう?」
152㎝の小柄な体を弱点にしないサッツのタイミングやバランスの良い空中姿勢などセンスの良さは、年端も行かぬころから寸暇を惜しんで、自らの意思で、物事に取り組んで来た“揺るがぬ向上心と普通じゃない努力家気質”が生んでいるという。
それは、高梨が憧れる女子ジャンプのパイオニアであり、コーチをしている山田いずみ氏の「よく沙羅は才能があると言われるけど、実は人一倍の努力家だから、あんなジャンプができるんです。」という見方とも合致する。ジャンプをやりたいと言い出したのは、小学2年の高梨自身だった。兄の寛大の飛ぶ姿を見ていた小さな少女が、すぐに空中を舞う爽快感のとりこになった。怖いなんて思いはこれっぽっちもなく、「面白かった」と平然と振り返る。
まだ女の子がジャンプを飛ぶことの認知度が高くなかった当時。両親はむしろ、やらせたくはなかった。母の千景さんは既に習っていたバレエをやらせたかったし、父の寛也さんは兄の指導に熱心だった。だが、娘は思い通りにはなってくれなかった。父は「どうしてもやりたいなら構わないが、その代わり中途半端にはならないように」と言うと、娘は「はい」と返事し、決意が揺らぐことはなかった。
勉強もできる! 勉強に関してもそうだ。友だちが塾で英語力を付けたと聞くと自分も負けじと通うようになった。どこにでも必ず勉強道具を持ち歩き、コーチの1人は以前に「遠征帰りの空港の乗り継ぎ時間にも普通なら疲れてぐったりするのに、一心不乱に教科書とにらめっこしていた。」と、時間を無駄にしないストイックさに驚嘆していた。そうした努力のおかげで、15歳だった高校1年時には高校卒業程度認定試験(旧大学入試検定)をパスしたほどなのだ。勉強に力を注ぐのは、ジャンプ選手を引退した後の人生設計もしっかり念頭に置いているからでもある。中学3年のときには、将来の夢として「中学校の体育の先生になりたい。だから、教員免許を取得できる課程を修了しなければならないことも考えています。」と語っている。
世界一流の選手は、凡人とはどこか違う。「うちの子とは違う。」と言ってしまうとお仕舞です。
なぜ伝記を読むか? 伝記の中で描かれる人生と自分の人生を比較することです。
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