2020年12月31日木曜日

花だより 密・不要不急 アオキ

 



 密・不要不急
 田舎のマチにもコロナの感染者が出たので、スーパーでも全員マスクをしている。レジ待ちでは、床の印に立ちソーシャルディスタンスを守っている。欧米に比べて感染者が抑えられているのは、日本人の意識の高さだと言われている。
 田舎のマチにも待望のスタバができた。しかし、まだ店内に入ったことがない。休日に何度か行ってみたが、駐車場の入り口には警備員が立っていて交通整理をしている。「密は避けよう!」と諦める。
 大型スーパーも休日は大賑わいだ。周辺の小さな町の商店では、日曜日は店を閉める。休日は、大きな町の大きな店へ買い物に行くからだ。
「どこにも行けないから、イオンで買い物して『鬼滅の刃』見てきた!」という子が何人もいた。買い物は、不要不急ではないだろうが、人出の多さには驚く。田舎でもこうなのだから、東京や札幌が大変なのはよく分かる。
「クリスマスプレゼントは、何をもらったの?」と聞くと、「タブレットだよ!」と超うれしそうに答えた2年生の女の子がいた。学校で1人1台の端末で勉強することになるので、それに対応するためらしい。コロナ禍で、夏休みも冬休みもどこにも行けず、それにお父さんの飲み代も無いので、家計に余裕ができたのかもしれない?
 私は、来年から年金がもらえるようになった。さまざまなシルバー割引を受けられるようになったが、65年生きてきて、こんな年は初めてだ。来年もしばらくは我慢が続く。
 「明けまして、おめでとうございます。」本当にそうありたいものだ。
 
 

2020年12月30日水曜日

花だより 除夜の鐘 静かな年越し ベニベンケイソウ

 

 “除夜の鐘” 今年はいつもと違い静かな年越しになりそうです。
 大晦日(おおみそか)、大晦(おおつごもり)、年越し、年取り、除夜などともいいます。この夜、あちこちのお寺から除夜の鐘が響いてきます。大晦日には、除夜の鐘を聞きながら、この1年間をしみじみと反省してみるよい機会です。勉強のこと、運動のこと、お友達のこと、家族のことなどよく振り返ってみることです。除夜の鐘は百八つ鳴らします。仏教では、人間に百八つの心を悩ます煩悩(ぼんのう)があるといいます。この煩悩を一つ一つの鐘の音が消してくれて、光明に満ちた新年を迎えることができる。鐘のつき方をよく聞いていると、かわりばんこに強く54点、弱く54点ついています。そして、107点までは今年のうちについて、108点目で新しい年が明けたことになります。反省がないと新しい目標はできません。
 こうした日本の伝統文化を話して聞かせるのが、私たち年寄りの務めのような気がします。コロナで不要不急の外出を控えるようにお正月は家で過ごしましょう。と呼びかけています。家族が一緒にいる時間が増えます。
 児童センターでは、カルタやトランプを夢中になってやっています。子どもは、一人で遊ぶより、みんなで遊んで楽しむ方がいいのです。家族団欒を大切にしてください。


2020年12月29日火曜日

花だより 家庭のルール ~ヨソはヨソ、うちはうち~ 鬼灯

 「イキイキ子育て」 家庭のルール ~ヨソはヨソ、うちはうち~
 🤷‍♂️「しつけ」とは、「我慢」することををいかに育てるかということ。具体的には生活の中の「ルール」決めて守らせること。「マナー」を身に着けることです。
 ツッパリと呼ばれる子どもたちの特徴の一つは、ふだんの生活にやる気を感じないことです。「かったるい」「眠い」「シラケる」「関係ない」「どうでもいい」、彼らが共通して発する言葉です。どれも怠惰な感じがします。我慢することを知らないので、何かにつけてしまりがない。快活さや楽しさのない生活を送っています。
 このような生活の中で、「我慢力」が育つはずがありません。日常生活にしまりやめりはりがあることは、小さな我慢を積み重ねることになります。
 どんな小さなことでもいいので、日常生活の中にルールを具体的に取り入れることです。家族で決めたことを守るにはそれなりの「我慢」が必要になるからです。
 たとえば、ゲームは○○の場所で、時間も〇時から〇時までと決める。とか、冷蔵庫に子どもの好きな飲み物が入っています。それを飲めるのは午後3時と夕食時までと決めます。また1回に飲む量はコップに1杯と決めます。そして、決めたらそれを守らせることです。冷蔵庫を勝手に開けて好きなだけ飲めるというのでは、子どもは肥満になりやすいし、そのけじめのなさが「我慢力」を育てるのにじゃまになるのです。どんなことでも決められたことを守るのは、小さな我慢の積み重ねです。
👀子どもがもし、「こんなルールは、うちだけだよ!」と反発したら、こう言ってください。「ヨソはヨソ、うちはうち!」



2020年12月28日月曜日

花だより すぐ「疲れたあ~。」という子ども カトレア ロウバイ

 

 すぐ「疲れたあ~。」という子ども
 子どもの中には、「疲れやすい」「何でもないのにイライラする」といったストレスを訴える子がかなりいます。子どもは、ゆとりのある自由な時間を与えられることで、初めて心から遊びを楽しんだり創意工夫したり、個性や創造性を伸ばせるのです。子どもは大人と違って、いくら遊んでも疲れません。他のことで疲れたら、思いっきり遊ばせることです。
 大人は、疲れたらいろいろな解消方法(飲酒、喫煙、カラオケなど)がありますが、子どものストレス解消は、体を動かして遊ぶことです。こういうと、「勉強より遊び」と短絡的に考えがちですが、勉強する時間があって、そこから、ゆとりの時間を見つけて遊びを創造することが大切なのです。
 「臨休中、何をやっていたの?」と聞くと「宿題がいっぱい出ていたから、勉強もしたよ。ゲームもやったけどね。」と答えた子と「ずっとゲームやってた。こんなにやったのはじめてなくらいやった。めっちゃ疲れたけど、楽しかったあ~!!東大王の鶴崎さんも小学生のとき、ゲームやっていたんだって、勉強だって少しはやったよ。」と自慢げに話す子がいました。




2020年12月27日日曜日

花だより ガチャ・ガチャ 南天

 

  ガチャ・ガチャ  
  お金を入れてレバーを回すとカプセルに入ったおもちゃが出てくる販売機が店先にずらっと並べてあります。通称「ガチャ、ガチャ」は、子どもに大人気です。ところがある店から「お金を入れていないのに、『出てこない』と言ってくる子がいる。」という苦情が教育委員会にありました。
 調べてみると子どもたちの中にも「あそこのガチャ、ガチャは『出ない』と言ったら、だまって出してくれるよ。でも、あそこの店のおやじは、うるさいから気をつけろ!」という情報のネットワークがあるらしい。さらにUFOキャッチャーでは、取り出し口から手を突っ込んで景品を取る子もいるという。(子どもの手だからできること)どこでそんな悪知恵を身につけるのか?
 この話を子どもたちにすると、「えっ!そんな手があったんだ。」と真似されても困るので指導の仕方は考えた方がいいでしょう。「いいこと」、「わるいこと」をしっかり教えるのは親の役目です。


2020年12月26日土曜日

花だより 威張らない人 ニトリ会長 クリスマスベコニア

 

 威張らない人 ニトリ会長 「カンブリア宮殿」12月24日 編集後記 村上 龍
 小学校から勉強はまったくダメ
 就職も100社ほど回ったが、全部断られ「死のう」と
 他にやることがなくなり、金を借りて商売を始める「ニトリ」の創業だ。
 だが、対人恐怖症で接客ができない。
 すぐ傍に1200坪の競合店ができた。
 死ぬことばかり考えるようになるが、
 そのころ、アメリカ西海岸の視察セミナーがあり、
 参加して「ロマン」と出会う。
 製造物流小売という世界初、他に例を見ない業態となり、
 売上高6000億円に達する企業となった。
 ただし似鳥さんは、ダメダメだったころの記憶がはっきりある。
 だから絶対に威張らない。
 似鳥昭雄さん(ニトリホールディングス会長:76歳)は、小学校6年生まで、自分の名前を漢字で書けなかった。脱いだ服はそのまま、片づけができない。自分が発達障害だと分かったのは、2・3年前にテレビを見ていて、自分と同じような人がいると思い、大学の先生に相談してからだという。
 奥さんは、「あなたは、普通の人ができることはできないけれど、普通の人ができないことができる。」と言う。
 
 
  


2020年12月25日金曜日

花だより クリスマス会 クリスマスローズ

 

 クリスマス会
🎄子どもたちは、「クリスマス、クリスマス」と言ってニコニコしています。家の人や親戚、それに友だちからプレゼントをもらえるのでうれしいのでしょう。でも、サンタ役のお父さん、お母さんは渋い顔です。プレゼントとかクリスマスケーキなどお金がかかることが多いからです。
🤷‍♂️さて、クリスマスはイエス・キリストの誕生を祝う日です。キリストとは、救い主という意味で、イエスの教えは、人の罪を許し、人を救う、慈悲深い。愛の精神です。有名な教えの一つに「もし友だちに右の頬をたたかれたら、左の頬も与えなさい」という言葉があります。イエスは、たたかれたとき、たたいた人に私が何かあなたに気になることをしたのですか、もし、そうでしたら気のすむまでたたいてください。と言いなさいという心にしみる教えです。こんな話をしたら、「それでも叩いてきたときは、こっちも叩き返していいのですか?」と言う子がいました。
🐱‍💻クリスマスといってプレゼントにお金を使ったり、お祭り騒ぎに終わるのは日本人の悪いところですが、今年は、コロナの影響でサイレントイブになりました。
🎅「Merry Christmas」の「メリー」は、「陽気に、笑って、楽しむ」という意味だそうです。昨日、こども園のクリスマス会に参加しました。サンタ役の園長先生が「メリー、クリスマス」と園児に呼びかけました。まだ、サンタクロースを存在を信じている子供たちです。「難しいことは言わないで、クリスマスを楽しみましょう!」ということでしょう。


2020年12月24日木曜日

花だより 心の通う言葉を 「長い文章のブログは、誰も見ない!」 カニサボテン

 

 心の通う言葉を 「長い文章のブログは、誰も見ない!」
   「内外教育」 12月18日付 教育研究会「立志社」主筆 岩井忠彦
 メールやLINEは、早さが利点であるが、応答が遅れただけで人間関係が崩れることさえある。読み直しや言葉を選ぶための余裕がないからか、最近はこの種のトラブルが多い。先が思いやられる。
 長い文章を読む、長文を書く、長時間に及ぶ話を傾聴する、などの経験が少なくなったことも背景にあるだろうが、行き届いた説明や表現よりも、速いこと、短いことを求めるのが社会的な現象になっている。そのため複数の単語を合わせた新語や片仮名表記や外国語、衝撃的で短い表現なども随所に見られる。
 意見の主張や事務的な連絡なら、速く、短く、でこと足りるだろう。しかし、人間社会は複雑である。相手の心情を思いやり、言葉を選んで丁寧な文章を書くことなど、細やかな配慮が必要な場合も少なくない。
 小学生もメールやLINEを使う時代である。学校教育にも活用すべきだ、という声もある。必要なことだが、そこには負の側面もあることを忘れてはならない。マイナス部分を補完し、問題点を解消するための手立てを講じなければ、将来に禍根を残しはしないか。
 子どもの頃から優れた文学作品に親しみ、心の通う言葉の大切さを学ばせることなど、さまざまな方法があるはずだ。学校教育だけでなく、社会全体で考えるべき課題だろう。
 このブログを始めたとき、先輩ブロガーから「長い文章は読んでもらえませんよ。」と忠告された。フォロワー数は気にしていないが、岩井氏の言う通りだと反省させられた。




2020年12月23日水曜日

花だより 「教育改革」仏作って魂も入れる ポインセチア

 

 仏作って魂も入れる 「教育展望」2020 12月号 巻頭言
                  京都大学特任教授 小松郁夫
 教育におけるいろいろな改革の議論を見ていると、改めてヒトが中心の施策が成果を生み出すことの難しさを実感する。丁寧に時間をかけて一生懸命に考えて新しい学校づくりをしても、その意図通りに機能しないとか、かえって混乱させてしまうような危険性をはらんだ教育改革の心配が拭い去れないのである。そんな時にいつも心に浮かぶのが、「仏作って魂入れず」という有名なことわざである。
 私の予想を超えて急速に増えつつある「コミュニティ・スクール」も小中一貫教育や義務教育学校の発足も、新しいシステムの開発と教育行政からの支援は華々しいものがあるが、いざ動き出してみると、ありがたみも成果も「イマイチ」の様相が気になる。
 「地域と共にある学校」づくりも、義務教育9年間の一貫したカリキュラム開発も何のために改革するのか、どのような成果を目指して新しい仕組みを導入するのかを明確にしなければ、意味をなさないであろう。関係者の理解と納得、共通理解が進まなければ、未知の実践に不安なままで関わらざるをえず、「やらされ感」が強くなって、当事者の間に不本意なまま責任だけがのしかかってしまう危険性がある。
 国や教育委員会主導の教育改革の骨格づくりは非常に重要である。法制度の整備や財政面での支援も欠かせない。しかし、新しい革袋で新しい酒を造るのは、学校現場であり、学校教育を日々実践する教職員とそのリーダーである管理職である。核心となる理念は、学校の自律性であり、説明責任の確保と人々から支持される社会的正義であると思う。
 肝心なことは、「仏作って⇒魂入れる」ではなく、子どもの「豊かな未来」や「すべての子どもが大切」という崇高な「魂があって⇒仏を作る」という順序を大切にすることであろう。


2020年12月22日火曜日

花だより 小学校35人学級コロナで教育も変わる 柚子

 

 小学校35人学級 コロナで教育も変わる
 日本の1学級当たりの児童数は、OECDの調査で33か国の中で3番目に多かった。学校現場にとって長年の悲願だった人数見直し(少人数化)がやっと実現する。
 文科省は、少人数学級の実現は長年の課題として、30人学級の実現に向けて先頭に立ってきた。財務省はこれまで少人数化は学力向上に繋がらないとして難色を示してきたが、妥協した背景には、人口減とコロナの拡大がある。少人数学級を段階的に移行すれば、教員数の大幅増は避けられると財務省が判断したからだ。
 保護者の中には、どの学校も1クラス35人学級になると思っている人が多いようだ。実際は、1クラス最大30人(上限35人)となるので、1学年36人になると2クラスになって、1クラス18人になる。71~105人なら3クラスになって、1クラス23~24人になる。
 オホーツク管内では、児童数が減少しているので、1学年5~6クラスにもなるような学校はない。各学校には空き教室があり、教室が足りなくなるという学校はほとんどないだろう。これまで適正規模とされる学校は、小学校では、学年3クラス、全校18クラス(通常学級)、児童数500~600名程度とされていたが、オホーツクには、現在そんな学校は存在しない。これからは1クラス20人前後で学年2クラスの学校が多くなるだろう。しかし、人数は少なければ少ないほど良いということではない。小規模・へき地複式校が地域住民の要望で統廃合が進んでいるし、財務省の言う通り、少人数学級の方が学力が高いという結果にはなっていない。
 一番の課題は、優秀な教員の確保
 文科省では、教員13,500人超を確保する必要があると試算している。しかし、人数より質の維持が重要である。公立小学校の教員採用倍率が、3倍を下回り過去最低になった。少人数学級が成功するかどうかのカギは、働き方改革を進め、いい人材を学校に呼び込むことができるかどうかだ。


2020年12月21日月曜日

花だより リフレーミング 柚子 ポインセチア

 


 リフレーミング
 短所も見方を変えると長所に、長所と思っていたら・・・?
 こんな子も見方を変えると 
○「責任感がない」→無邪気な、自由な 
○「だらしない」→こだわらない、おおらか 
○「調子に乗りやすい」→雰囲気を明るくする 
○「のんき」→ 細かいことにこだわらない。
 次のような子は見方を変えるとどうなるでしょうか?
 ◆人にかわいがられる → 甘えん坊
 ◆好奇心旺盛 → あきっぽい
 ◆社交的 → おしゃべり
 あきっぽく、おしゃべりでうるさい子がいたら、「お宅のお子さんは、好奇心旺盛で、しかも社交的で、いいですね。」と言ってあげるといいでしょう。



2020年12月20日日曜日

花だより 親父の威厳 アロマ シクラメン

 

 ~親父の威厳~ 
 平気で親をバカ呼ばわりしてゴネている子どもや、それを平気で受け入れている親を見かけると、果たしてそうか?と思う。古くさい考え方かもしれないが、やはり子どもは親に「バカ」などと言っては行けない。そして、いけないことをやったときは大いにしかるべきです。それが節度あり社会規範でしょう。別に子どもに嫌われても平気です。顔を見たら逃げ出すくらい怒ってもかまわない。それより良いことと悪いことのわかる子どもに育てるべきです。こっぴどく叱っても、一緒に付き合ってやれば子どもは親を心底嫌うことはまずないのです。一緒に遊んでやればすぐ仲良しになれます。そこでちょっと工夫やヒントを教えてやれば尊敬も得られるのです。一番いけないのは、子どもに無関心で、ろくに遊んでもやらず口を開けばグチをこぼすか叱ってばかり、それが親だと思い込んでいることです。
  細木数子さんが、「親父はくさいから嫌い」と発言した女子高生に「親を何だと思っているんだ」と叱る場面がありました。細木さんに言われなくては気が付かない女子高生も問題ですが、言われた親父にも問題がありそうです。親父の威厳を示すべきです。




2020年12月19日土曜日

花だより 若者言葉と「痛み入る」 シクラメン

 

  若者言葉と「痛み入る」
「ピエン」~ちょっとした悲しみや嬉しさ、嬉し泣きを含む。泣いている様子を表すネットスラング(ネット用語、隠語、俗語)
「マジ卍」~「まじまんじ」とは、主に女子高生を中心とした若者の間で使われている言葉 “やばい”に近い意味で使われている。
「パリピ」~パーティーピープルの略称、みんなで盛り上がることを好む人を指す。
「ワンチャン」~もしかしたら可能性がある?
 🤷‍♂️「ワンチャン」だけは、何となく分かるような気がしますが、他の言葉は、マジ卍でピエン状態です。
 👀言葉は時代によって変わると言われています。しかし、日本語には奥深い言葉がたくさんあります。大事にしたいものです。
 使ってみたい 「痛み入る」
 目上の人が直々に挨拶に来てくれた、出迎えや見送りをしてくれた。あるいは、丁寧なもてなしをしてくれたなど、自分に行きすぎた対応をしてもらうことがあります。
 つい恐縮して使ってしまうのが、「申し訳ない」や「すみません」という表現ですが、「いやいや、こんなにしていただいて、すみません」「お忙しいところ、申し訳ないです」と繰り返し言うと、謝罪の言葉とも受け取られるため、「本当は嫌だったのかな」などと、相手に気を遣わせてしまう場合もあります。こうしたときには、「ありがとうございます」「嬉しいです」「とても助かります」という感謝や喜びの気持ちを素直に伝えると、印象がよくなります。
 お礼だけでなく、恐縮している気持ちをどうしても伝えたい場合に便利なのが、「痛み入る」という言い回しです。
「わざわざのお越し、痛み入ります」
「こんなによくしていただいて、痛み入ります」
「身に余るお褒めの言葉、痛み入ります」のように使います。
相手の過分な好意に対し、ありがたさと申し訳なさを「痛み」という言葉で表現した、また、「痛み入る」の類語に「かたじけない」があります。
 こちらは、時代劇でよく耳にしますが、身に染みてありがたい、もったいない、おそれ多いという意味の表現です。
「ご親切、かたじけなく存じます」
 ある程度年齢を重ねた人が、さらりと使えば知性を感じさせます。ただし、若い人が使うと慇懃無礼(いんぎんぶれい:表面上は丁寧だが、内心ではバカにしている)な印象を与えかねないので注意が必要です。若者に「『痛み入る』という言葉を知っていますか?」と聞いたら、「もしかして、『ピエン』のことじゃない?」と言うかもしれません。


2020年12月18日金曜日

花だより ネットが心の支えに フタバアオイ 苺

 



 ~ネットが心の支えに~
 モテるためのファッション雑誌などのユーチューブ、ツイッター、インスタグラムといったSNSで発信し、同世代からの支持を集める。総フォロワー数は150万人以上のユーチューバーゆうこすさん
🤷‍♀️中学生の頃は少女マンガが好きで、恋愛もしたくて、かわいくいたいと思っていました。でも、そうした行動が「ぶりっ子」と非難されました。
 当時はクラスメート30人が自分の世界の全て。みんなに嫌われるのは世界を追放されたようでつらくて、悪口を言っている子たちと一緒に居たくなくて。午後から学校に行き、部活動の吹奏楽に参加して帰る日々でした。
😂心の支えになったのは、インターネットでした。チャットにはまり、好きな音楽のサイトにコメントもしました。趣味や好みが合う人がたくさんいて、世界が広がったことで居場所ができ、安心しました。
😢高校2年でHKT48に入りましたが、辞めた後に事実無根の中傷がネットに書かれました。街行く人が自分を指さしてやゆしているように感じられ、人に会うのも苦痛になり、実家で1年間のニート生活を送りました。
😉私は、いまではSNSで発信して人から共感をいただいて活動できていますが、いま本当に悩んでいる子に、「つらい経験が将来プラスになるよ」なんて言えない。
👍でも教室以外のどこかに居心地のいい場所が作れれば、世界は明るく見えてきます。ネット上でもいいし、つらいときは病院などの専門機関に相談してほしい。しんどい思いを抱える人は、痛みを知っている。だからこそ、乗り越え、立ち直ることができたら、今の何倍も強く、優しくなれると思います。
 ネットが誹謗中傷を生むけれども、逆にネットで救われることもあります。新しい時代に入って、これをどう使うか。教育の課題でもあります。


2020年12月17日木曜日

花だより 福沢諭吉の「学問のすすめ」 ビワ

 



 福沢諭吉の「学問のすすめ」
 人間には生れながらにして貴賎貧富の差別はない。天は生まれながらの人に富貴を与えるのでなく、その人の働きに与えるのである。誰でも自らの働きにより富貴が得られる機会において平等なのである。では、現実社会における賢愚、貧富、身分(地位)の差は何からきているのか。その理由は明白である。「学ぶと学ばざる」とによる差である。学問に励み物事をよく知る者は貴人、富人となり、無学な者は貧人、下人となる。
 「どうして勉強しなければならないの?」と子どもよく聞く。そのときは、この話をする。しかし、小学校低学年の子には分からない。「だから勉強するんだ。」と答える。





2020年12月16日水曜日

花だより 参観日は必ず行く カンギク

 

 参観日は必ず行く
 コロナで参観日を行わない学校もあるようですが、授業参観には、できる限り行くべきです。その機会を利用して先生と話し、学校での様子を知ることはとても大切なことです。
 《3つの理由》
1 年に2~3回くらいしかない機会を逃すことは、特別な事情がない限り避けなければなりません。前もってわかっているのですから、それに合わせて予定を組んでおくことです。次に、子どもが家の外にいる時間の大半を過ごしている場所を共有することができます。子どもがどんな環境で学んでいるかを知っておくことは親の努めです。
2 授業参観は、子どもが家庭以外の場所で活動している姿を親に見せる絶好の機会です。子どもは、自分の日頃の学習の成果を親に見てもらいたいという思いがあります。活躍している姿を親に見てもらって自分を認めてほしいのです。
3 保護者面談(学級懇談会)にも残るように最大の努力をする。学校の先生と話すことで、子どもに関する重要な事実を知り、もしも問題があれば早期にその芽を摘み取るだけでなく、子どもの学校生活と知的成長に興味を抱いていることを本人に知らせることができます。
👀参観日に行くということは、子どもに対し、「一生懸命学習に励んでほしい」というメッセージです。親が学校に意識を向けると、子どもは勉学に励んで、よい成績をおさめようと努力するものです。毎日口うるさく「勉強しなさい!」と言うより、年3回の参観日に必ず行く方が効果があります。





2020年12月15日火曜日

花だより 「改革」は、過去の全てを破壊しはいけない。 センリョウ

 

 「改革」は、過去の全てを破壊してもいけないし、また、大部分を温存してもいけない
 ポストコロナで大きな社会変革を起きると言われています。教育も例外ではありません。
「教育は“未完のプロジェクト”完成することのないプロジェクトである。どのような制度をつくっても、それでよくなるというものではない。豊かな教育が保障されるというものはない。しかし、絶えず改善を積み重ね、誠実に努力を積み重ね、支え続けてこそ、それなりの成功を確かなものにすることができる。教育とはそういう営みである。」(東大教授 藤田英典先生 著書「義務教育を問い直す」より)  
 教育改革の必要性は、30年前から叫ばれていましたが。「教育改革は、学校の廊下までは来ているが、なかなか教室まで入ることができない。」と言われています。
 TOYOTAは、いち早くハイブリッド車の開発に成功し、さらに燃料電池車「ミライ」の開発を進めています。「いやいややらされている人は、不平や不満を口にするが、自ら改革の必要性を感じている人は、積極的に取り組む。」これはトヨタの社長の言葉です。
 無駄をなくし、効率を上げることが改革のように言われますが、「行き過ぎたリストラで職場の和がなくなり、企業が活力を失っている面がある」と企業経営者が反省しています。
 学校でも、完全学校週5日制の影響として、5日間に仕事が圧縮され、1日の勤務時間が増加し帰宅時間が遅くなった。また、それだけでは間に合わず、土日の出勤が増えた。会議を開く時間が無く、会話をする時間も少なくなり共通理解が図りにくくなった。などなど
 批判が高まり、働き方改革が断行されました。その結果、休み時間が短縮されたり、学校行事が削られたりしました。また、校務システム(デジタル化)を導入され、職員朝会をなくしたり、諸会議も減らされることが多く、結果的に精選され、合理化が図られたように見えます。 しかし、言い訳的な取りつくろった取り組を設定し、教科だけを重点的に指導したり、各領域での活動をバラバラに行っても、子どもたちの意欲と自信は形成されません。また、成果が上がらなかった原因を子どもの能力、家庭の背景、地域の実情や制度に押しつけようとするならば、学校としての無能さを露呈することになります。
 学校はラインではなく、スタッフで構成される組織(チーム学校)です。情緒的な要素も大切にしなければ、組織の活性化は図られることはできません。
 「全ては、子どもたちのために」です。一方的にやらされるのではなく、自らその必要性を感じることが一番大切だと思います。


2020年12月14日月曜日

花だより 地域の葬儀(2)と若松小学校 冬桜 蜜柑

 

   地域の葬儀(2)と若松小学校
 若松地区も昔は、地域の会館で葬儀をしたそうです。今は各班の構成員も減り、高齢化によりお手伝いする人も少なくなり、最近は街の葬儀場でするようになりました。それでもビートの収穫などで忙しい時期でしたが、多くの人がお手伝いに集まりました。若松での葬儀の手伝いは2度目でしたので、だいたいの要領も理解し、顔も覚えてもらって、「校長さん、校長さん・・・」と気軽に声をかけてもらえるようになりました。
 手伝いが一段落すると、役員には歴代の若松小PTA会長さんが何人もいて、特認開校当時の話や校舎改築の陳情に何度も市長さんのところに行った話、昔の先生の話などが出てきました。
  いずれ若松の子はいなくなる。それでも若松に学校を残したい。将来の子どもたちのためにと自治会が一丸となって取り組んだ結果、今の特認若松小学校があります。
 自治会で不幸があれば、どんなに忙しくても手伝いに駆け付ける。厳しい自然条件の中、互いに助け合ってやってきた開拓農民の気概が、まだ若松には残っています。人とのつながりの大切さを大事にしてきた地域の皆さんの思いが、若松小学校は特認校として残る結果となりました。
「子どもをお行儀良く育てたいなら、お葬式に連れて行きなさい。」
 家族を失った遺族の悲しみに包まれた厳粛な雰囲気のお葬式で騒ぐ子はいないからです。多くの悲しみに出合うことで人に優しくできる心が養われます。死を身近に感じることで、生きることの大切さや健康の大切さを知ることができます。お通夜のお説教で、「お葬式は、故人を偲ぶと同時に、自分の生き方を反省するものです。」と言われたことを思い出しました。この世で一番大切なのは「命」です。




2020年12月13日日曜日

花だより コロナで葬儀も変わった ヤツデ

 

  葬儀の手伝い
 コロナで葬儀も変わってしまった。3密を避けるため、親族だけで行い、一般の参列者は、会場の入り口でお焼香して、香典の置いて帰る。手間をかけない家族葬が多くなり、コロナ後もこの傾向は続くのではないかと言われている。
 ~地域の自治会が取り仕切る葬儀があった。喪服を着て参列し、焼香するが、自治会員の多くは葬儀の手伝いである。
 式場の設営や食事の準備、香典の整理、ひつぎの搬入、搬出など、葬儀社の指示に従い、自治会員のそれぞれが裏方を努める。
 通夜と告別式の2日間と前夜の打ち合わせを含めるとかなりの時間、束縛される。
 酪農家といえども、朝晩の搾乳の合間を縫って、作業服の「つなぎ」から喪服に着替え、手伝いにやってくる。よほどのことがない限り、葬儀を優先せざるを得ない。小規模校の校長ともなれば、葬儀の準備や手伝いは予定のうち。万全の覚悟で臨まなければならない。
 都市部では、葬儀の全てを業者に任せるのが一般的だが、田舎の葬儀は、今なお自治会主催のところが多い。地域とのつながりの濃い薄いで片づけるのは簡単だが、そもそも都市部では、葬儀を取り仕切るだけの手伝いが集まらない。
 校長として自治会に加わると、祭りや葬儀に欠かさず出席しなければならない空気をおっくうに感じる半面、それくらいの手伝いを通じて地域の人たちと親しくなっていく気もする。


2020年12月12日土曜日

花だより お父さん ありがとう マンリョウ

 

 「お父さん ありがとう」
🤷‍♂️冬のボーナスが入って、子どもたちは、クリスマスプレゼントをおねだりしたいところですが、今年はコロナの影響で休みに買い物に出かけて、家族で外食とはいかないようです。ネット注文になるのでしょうか?
🤣最近、父親の存在感がなくなった原因の一つは、“給料の振り込みにある”と指摘する人がいます。お金の流れが子どもに見えないのです。お父さんが会社に行くこととお母さんが銀行でお金を引き出すことが直接結びつかないのです。そういうわけで父親の存在感は希薄になっていくばかりです。
😃これでは「いかんな」ということで、両親が相談してお金を引き出しはお父さんがするようにした家庭があります。お父さんが引き出してお母さんに手渡すのです。そのつど、お母さんが「いつもご苦労さま、ありがとう」と言います。
 それだけのことですが、子どもにとって父親ががんばっているからお金が入ってくるんだということが実感できます。そして、お母さんが感謝している、ぼくも感謝しなければ、という気持ちが自然に芽生えてくるのです。家族の中にも感謝のこころはあるべきでしょう。そういう家庭なら「ありがとう」ということばが自然な形で行き交うことになるでしょう。
 お母さんが料理を出してくれれば、お父さんが「ありがとう」
 子どもが新聞を取ってくれば、お父さんもお母さんも「ありがとう」
😊「ありがとう」と言い合える家庭は、風通しのいい清々しい家庭です。その子どもは社会に出て行っても、人の好意に自然に「ありがとう」と言える子になります。その子の評価ポイントがプラスになります。決してその子にとってマイナスになることはありません。
  


2020年12月11日金曜日

花だより マスクで遮られるもの ヤドリギ

 

  マスクで遮られるもの
 新型コロナウイルス感染症の拡大が止まらない。それでも学校は何とか授業を続けている。感染の恐れを減らすために、全員マスクをしている。
 コロナ禍において専ら憂慮されてきたのは、学力保障が十分に達成できないことである。このために各学校は行事を精選し、授業時数の確保に努めた。確かに、こうした努力で子どもたちの学力は、一定程度保障されるだろう。しかし、今一度考えなければならないのは、マスクで遮られているものは何かということである。マスクを着用して、ソーシャルディスタンスをとることが常に求められる今の生活は、どのような問題をはらんでいるだろうか。
 マスクは口元を隠してしまう。乳幼児など年少者にとっては、人の顔の表情から感情を理解するようになることは、発達段階上の大きな課題である。しかし、マスクを着けた保育士や教師の顔からは、目から下の表情は分からない。子どもたちは、先生が笑っているのか、怒っているのか、なかなか読み取りにくいだろう。
 こうしたことが日常となれば、子どもたちは相手の感情を理解することが難しくなり、その後の対人関係に深刻な問題をもたらすことが十分に予想される。
 マスクをした中で非言語的なコミュニケーションをいかに豊かにしていくかを、もっと検討する必要がある。相手としっかりアイコンタクトをとること、いつも以上に身ぶり手ぶりなどを交えて話すことなど、体全体でのコミュニケーションが求められるようになっている。
 その一方で、現状の分析も必要だろう。学力やいじめや不登校の問題だけではなく、こうした否認知的能力の発達の状態を年齢的に、また個体による差異もしっかり精査して、必要な対策を講じることが急務となっている。(上智大学教授 酒井 朗 「内外教育」12月号より)
 教師用としてフェイスシールドを試験的に使ったこども園では、確かに表情は分かるが着け心地が悪い、抱っこやおんぶ、作業をするときに危ない。などの理由でマスクに戻したそうです。着け心地が悪いことを理由にしてはいけないだろう。 


2020年12月10日木曜日

花だより 授業は「あ・い・う・え・お」が大切 フユサンゴ

 

  授業では「あ・い・う・え・お」を大切にする。 
😃「あっ!そうか」と気づく 「いいねぇ~!」とほめる 「う~ん!」と考える 「えっ!」とおどろく 「おお~!」と感心する。
教師は、すぐ何かを教えたくなるものですが、子どもにやる気を起こさせるのが優れた教師です。優れた教師は、「あ・い・う・え・お」を大切にしています。
 先生がよく使う言葉に「考えなさい」があります。ところで「考える」とはどういうことか、子どもたちは分かっているのでしょうか?
 小学生が「考える」とは、“何か新しいことに出合ったときに、これまでの経験から、それと同じようなことや違うことを見つけたり、比べてみたりすること”です。ですから、どれだけ多くの知識や情報があるかで、その考えが深まるかどうか決まります。豊かな創造力や発想力は、持って生まれた才能ではなく、知識や経験から生まれるのです。小学生のときは、とにかく多くのことに興味を持って、多くの知識や情報を頭の中に詰め込むことが大切です。それは机上の勉強だけでなく、さまざまな体験を通して身に付くものです。
 「思考力」や「判断力」を重視する教育が求められていますが、その基礎となるのは、「知識・技能」です。それを疎かにしないことです。


2020年12月9日水曜日

花だより スマホと家庭どっちが大事? 水仙

 

 “わが子を心の真ん中に置いて”  
 「ああ~、結局、また叱りつけてしまった!」お母さんたちのそんな苦笑まじりの言い訳が耳に飛び込んできそうです。それこそが親心の正体かもしれません。子育ての壁にぶつかったり、失敗したりしても、やっぱり愛情をもって子どもと向き合うことです。また、これでいいのかな?と我が身をふり返る余裕をもつことです。一番よくないは、決めつけと我流です。子育てや勉強の世界の流行ほどいい加減で信用できないものはありません。
 スマホと家庭どっちが大事? 叱りつけるのではなく 親の威厳を示す。
 家族が崩壊し、人間関係がどんどん薄くなっていくような気がします。これは望ましい姿ではありません。何よりも、家庭が楽しくないと思ってスマホやゲームに逃避している子どもを家庭に引き戻さなければなりません。
 人に対する免疫力を家庭でつくらなければなりません。それには、とにかく家族が一緒に時間を過ごすことから始めることです。そのとき、もし子どもがスマホを持っていたら、電源を切らせましょう。もちろん親の携帯電話もです。映画館やコンサート会場では、携帯電話(スマホ)の電源を切るようにアナウンスされます。家族が顔を合わせているときも同じです。ふだんあまり子どもと話をしないお父さんは、「話題が見つからない。」と心配するかもしれませんが、続けていれば話題はつぎつぎ出てきます。子どもは未来からの預かりものです。子どもが大人になるころ日本の国は、どのようになっているかを思い描きながら、家族でいろいろ話し合ってみて下さい。(イキイキ子育てより)  


2020年12月8日火曜日

花だより 誰でも東大に入れる? チャ

 

  誰でも東大に入れる?
 江藤 真規さんは お茶の水女子大卒で2人の娘さんを出産後、アメリカに7年間滞在。その2人の娘さんは東大合格、自らも東大大学院に進学しました。江藤さん(教育コーチングオフィス、サイタコーディネーション代表)は、こう言っています。「勉強ができる子の育て方」より 
◇子どもの自己肯定感というのは、誰かのほんの一言やちょっとしたきっかけによって高められるものなのです。特に子どもの場合は、周囲からの言葉によって自分がどういう存在であるのかを確認していく度合いが大きいといえるでしょう。だからこそ、家庭での親と子どもとの会話、親から子どもへの言葉がけが大切なのです。
◇さまざまな経験があればあるほど、さまざまな思考を持っていればいるほど、自分の中に多くの引き出しを持つことができます。人は何かにぶつかったとき、それまで培ってきたものを頼りに、どう対処するかを判断します。つまり、引き出しが多ければ多いほど、自分が出す判断に自信が持てるのです。体験したことの数だけ、子どもの中に引き出しが増えていきます。 
 「うちの子も東大に入れるでしょうか?東大王の鶴崎さんや鈴木 光さんのようになれるでしょうか?」と言われたので、「まずは江藤さんの本を読んでみてください。」と言いました。


2020年12月7日月曜日

花だより ポストコロナの学校の姿 セントポーリア

 

  ポストコロナの学校の姿
 コロナが終息しても、過去の学校の姿に戻すわけにはいきません。今のうちに新しい時代の新しい学校像を描いておく必要があります。
1 20人学級の実現
 もし20人学級だったら、分散当登校の必要はなかったかもしれません。20人学級に実現は、個に応じた指導が確保でき、学級事務も半分になり、働き改革が進むはずです。
2 教室を広く
 児童机の規格が一回り大きくなりましたが、教室の広さは変わっていません。高学年の40人学級では、机間巡視もままならない状況です。20人学級になれば、今の広さはちょうどいいかもしれません。スペースがあれば多様な活動が展開されます。
3 一人一台の端末
 一人一台の端末が浸透すれば、授業だけでなく家庭学習にも活用できます。最適化された問題が提供され、習熟が図られます。不登校や病気で学校に来ることができない子にも対面と遠隔のハイブリッド型授業によって学びが保障されます。 
4 高速大容量通信網の確立
 そのためには、高速大容量回線の整備が必須です。学校だけでなく地域をカバーする通信網が整っていれば、リモートやオンデマンド学習がストレスなく進みます。
5 データの一元化
 ICチップによる登校時刻の確認ができれば、出席簿がいらなくなります。カメラの前に立つと自動で検温され、データが学校のサーバーに転送されると健康観察ができるようになります。学習履歴を蓄積することでAIが個別最適化された学習を選択してくれます。評価事務は軽減され、通知表の在り方も変わるでしょう。
 これは遠い将来の話ではありません。先進国ではすでに取り組みが始まっています。日本はこうした分野では後れをとっていました。その理由は、教師個人の指導力である程度の学力を保たれていたからです。しかしこれからはそうはいきません。このままでは、世界から取り残されてしまいます。


2020年12月6日日曜日

花だより いつの時代も子どもは勉強しなければならない 柊

 


 

 いつの時代も子どもは勉強しなければならない
「学校で勉強して、帰ってきたら塾へ行き、お母さんから毎日のように『勉強したの?』と言われ、遊ぶ暇もありゃしない。これも一流大学に入るため、一流会社に就職するため?それより子どもにもっとゆとりを・・・。」とはじまったのが前の教育改革と皆さんは理解されているのではないでしょうか?
 本来の「ゆとり教育」は“ゆとりある教育活動を展開する中で、基礎・基本の確実な定着を図る。”というものでした。どうもこの「ゆとり」の解釈が間違っていたようです。確かに教科書の内容は易しくなりました。その分、基礎的基本的な内容を確実に身につけることが求められました。しかし、日本の子どもたちの学力は下がってしまい、基礎・基本も残念ながら身についていないと言われるようになってしまいました。先進国の中で、家庭学習の時間が一番短いのが日本の子どもという結果が出ました。「学力低下で日本は滅びる」と主張する人もいます。しかし、ゆとり教育は、“勉強しなくてもいい”ということではなかったのです。
 「ゆとり教育」が見直されましたが、考え方は変わっていません。
   いつの時代も勉強はしなければならないのです。
 お父さんの仕事が○○なら、子どもの仕事は勉強です。「よく遊び、よく学べ」です。「勉強しなさい」と言ってもしないものが、言わなかったら全くしません。小学校のときに、家庭学習の習慣が身に付いていない子は、中学校に行っても勉強はしません。「勉強しなさい!」と強く言えるのは小学校までです。中学・高校になってから言うと反抗的になるだけです。小1プロブレム(問題)、中1ギャップ(溝)、高1クライシス(危機)が問題(進学してから適応できない。)になっています。「小学生になったんだから、もう中学生なんだよ。高校生なんだよ…」と言っても遅い、それまでのことが大事なのです。


2020年12月5日土曜日

花だより 教科書のハイブリッド化 キチジョウソウ 山茶花

 

 教科書のハイブリッド化
 脱炭素化で世界的に電気自動車の普及が進んでいます。しかし、一気に全てが電気自動車になるのは難しい。そうなると日本のメーカーが誇るハイブリッド車が当然そのつなぎの役割を果たすことになり、日本のハイブリッド車が世界的に売れているのはよくわかります。しかし、それに胡坐をかくことなく、電動化の波に乗り遅れないようにしなければならないようです。
 デジタル教科書を問う(読売新聞 12月2日)
 ~教育のデジタル化に先進的なオーストラリアでは、5年間続けていたデジタル教科書の利用をやめ、紙に戻した。子どもが「紙の方が集中できる」と感じていると判明したからだ。紙の教科書を読み、自らノートに書き込むことが学んだ内容をしっかり記憶できるということらしい。
 台湾では、2009~2011年、一部の小学校でデジタル教科書を試験的に導入した。端末を使った学びは、疑問を解決し、友だちと共に勉強しやすいなどの強みがある一方、文章を読み飛ばしやすく、深い理解や感情移入がしにくい。と指摘された。
 日本でも2014年に小学校4、中学校3の7校で、タブレット端末の活用の有無による学力の差を検証した。小学校では、活用した方が成績は高いという結果が出た。中学校では、教科により差が出て、必ずしも学力向上に直結しなかった。
 情報の全体像をつかみ、考えを深めるには、デジタルより紙が優れている。子どもの思考力を育むにはデジタル教科書は不向きだ。と主張する人もいる。~
 一人一台端末があたるようになると紙の教科書だけでは授業が成り立たなくなります。それぞれの良さを生かした併用が必要で、教育も日本得意のハイブリッド化が必要です。




2020年12月4日金曜日

花だより 「家、ついて行ってイイですか?」 サザンカ

 

  ごみ屋敷 
 🤦‍♂️「家、ついて行ってイイですか?」テレビ東京の番組がある。良い番組だと思うが、ついて行ったら、ごみ屋敷!というのが多い。
 「ゴミは持ち帰る」というのは、身の回りをきれいにしておいた方が気持ちがいいという、気持ちの問題が根本にあります。しかし、理屈をこねると「わたしは身の回りが汚れていても一向に気にならない。」とか「むしろ汚い方が落ち着く」という、困った理屈を言い出し、ごみ屋敷でも平気でテレビに出る人が多いのには驚きです。
 分かり合えない2つの意見に何とか収拾をつけようとすると、強引に多数決で決めることになりますが、教育現場では、ふさわしくありません。でも、親子なら気持ちの問題を共有しやすいのです。
 ふだんからお母さんが「ゴミで散らかっている部屋にいるのはイヤだよね。」と子どもに言っていれば、また、いつもお母さんが部屋をきれいにしていれば、子どもも気持ちのいい部屋は、きれいに片づいた清潔な部屋と思うようになります。これがごく自然な感情で、理屈をこねる必要などはありません。
👀マナーを教えるということは、ごくふつうの感情を育むことです。私たちは、「弱い者いじめをしてはいけません」「悪口をいうものではありません」「困っているとき人助けするのはおたがいさま」など、じつにいろいろなことをマナーとして教えられてきました。どれも理屈としてではなく体の中にしみ込んでいます。こういうマナーは、何度となくいわれているうちに少しずつ身に付いていくものだと思います。また、しつけと言って大声で怒鳴ったり、叩いたりするお母さんもいますが、逆効果です。マナーを身に付けさせようと思ったら、根気強く諭すことです。 


2020年12月3日木曜日

花だより 動物園は生きることを学ぶ場所 葉牡丹

 

  動物園は生きることを学ぶ場所
🤦‍♂️「旭山動物園に比べると影の薄い釧路動物園ですが、アムールトラのタイガとココアで一躍脚光を浴びました。」 釧路動物園長さんの講演から
 ◇動物園は「生死の現場」
😢開園からずっと釧路動物園の顔となって市民から愛されていたアフリカゾウ「ななこ」が死んでしまい、これで北海道の動物園からゾウがいなくなりました。これからゾウを動物園で飼おうとしたら、群れで飼わなければなりません。購入資金と施設設備に莫大な費用がかかります。また、お金をいくら積んでも買えない状況(自然動物保護の立場から)にあります。もう動物園でゾウは見られなくなるかもしれません。ゾウに限らず、国際条約で自然界の動物を捕まえて売買することはできなくなっています。今は、動物園で飼っている動物を繁殖させるしかないため、動物園同士での「婿入り、嫁入り」が多くなっているのです。
◇ホッキョクグマのツヨシは、実はメスだった。
🤷‍♂️ツヨシはメスだったのはある意味幸運だったのです。来年春には、盛岡の動物園に嫁ぐことになっていますが、ツヨシが生んだ子は、釧路動物園に所有権があるからです。しかし、動物園での繁殖は、非常に難しいものがあります。育児放棄する親もいて、せっかく赤ちゃんが生まれたとしてもその生存率は非常に低い。
😂アムールトラのタイガとココアも瀕死の状態で生まれてきました。それに四肢奇形と分かり99.9%助からないと誰もが思いました。それでも飼育員がネコ用のミルクを与え、曲がった後ろ足のマッサージを毎日続けました。そうした飼育員の献身的な介護が奇跡を呼んだのです。本来自然の中で生きている動物を動物園という檻の中で飼っているのだから、精一杯のことをしなければならないのです。
👀「動物園に来て、懸命に生きている動物の姿、それを支える飼育員の姿を見てください。動物園はこれまで公園課管轄でしたが、今は教育委員会管轄となり、教育機関となっています。動物園は、生きることを学ぶ場なのです。」


2020年12月2日水曜日

花だより 1週間であなたは変わる マルバノキ

 

 人格を磨くために 
 相手を変えようとしても変えられない。
 😢相手を批判する。責める。文句を言う。小言を言う。脅す。罰する。褒美でつる。弱点を探して責める。こうすると人間関係を壊してしまいます。
 相手は変えられない。だから自分を変える。
 😊相手の話を傾聴する。相手を支援する。励ます。尊敬する。信頼する。受容する。交渉する。良いところをほめる。こうすると人間関係を構築することができ人格を磨くことができます。
 ~1週間であなたは変わる~
 月~10分間自分の時間をつくる。 
 火~笑顔をつくる練習をする。 
 水~ご飯をゆっくり食べる。
 木~しかめっ面をなくす練習をする。 
 金~10分間物思いにふける。 
 土~家族に愛情のある言葉をかける。 
 日~ゆっくり休む。



2020年12月1日火曜日

花だより 参観日は必ず行く エラチオールベコニア

 


  「学問のすすめ」(福沢諭吉)
 人間には生れながらにして貴賎貧富の差別はない。天は生まれながらの人に富貴を与えるのでなく、その人の働きに与えるのである。誰でも自らの働きにより富貴が得られる機会において平等なのである。では、現実社会における賢愚、貧富、身分(地位)の差は何からきているのか。その理由は明白である。「学ぶと学ばざる」とによる差である。学問に励み物事をよく知る者は貴人、富人となり、無学な者は貧人、下人となる。
 勉強ができるようになるための家庭の役割
 参観日は必ず行く
👀授業参観には、できる限り行くべきです。その機会を利用して先生と話し、学校での様子をうかがうことはとても大切なことです。主な理由は3つあります。
👌まず、年に2~3回くらいしかない機会を逃すことは、特別な事情がない限り避けなければなりません。前もってわかっているのですから、それに合わせて予定を組んでおくことです。次に、子どもが家の外にいる時間の大半を過ごしている場所を共有することができます。子どもがいつもどんな環境で学んでいるかを知っておくことは親の努めです。
👌さらに、授業参観は、子どもが家庭以外の場所で自分が活動している姿を親に見せる絶好の機会です。子どもとしては、自分の日頃の学習の成果を親に見てもらいたいという思いがあります。子どもが活躍している姿を親に見て貰って自分を認めてほしいのです。
👌保護者面談(学級懇談会)にも残るように最大の努力をしましょう。学校と先生と話すことで、子どもに関する重要な事実を知り、もしも問題があれば早期にその芽を摘み取るだけでなく、子どもの学校生活と知的成長に興味を抱いていることを本人に知らせることができます。要するに、子どもに対し、「一生懸命学習に励んで立派な成長をおさめてほしい」というメッセージを伝えることができます。
😊親が学校に関心を示すと、子どもは学習意欲を伸ばします。親が学校に意識を向けると、子どもは勉学に励んで、よい成績をおさめようと努力するものです。


2020年11月30日月曜日

花だより 一流選手が持つ「臭覚」 ハナカタバミ

 

 一流選手は、独特の【嗅覚】(センス)を持っている。
 「楽天イーグルスから、メジャーリーグで活躍している田中マーくんの成功の要因は、力を入れるところと抜くところを覚えたことにある。プロの一流選手になると、臭覚みたいなものでそれを感じることができる。これは教えられてできるものではなく、その人の持っている野球センスで、言葉ではなかなか説明できない部分なのです。」と解説したのは、ソフトバンク監督工藤公康氏です。
 これは教師にも当てはまります。教師の仕事は、経験を積むことが大切ですが、児童理解や授業は、その人の感覚(センス)によるところが大きいのです。センスが良いとは、「判断力が優れている」「物の微妙な見極めができる。」「感覚が優れている」「細部の違いまで理解できる」の意味で使われます。このセンスは、持って生まれた部分と後から磨かれる部分があります。成績優秀な人が優れた教師というわけではありません。
《センスを磨く=研修》 研修とは「研究」と「修養」のことです。修養とは、学問を修め、人格を高めることです。しかし、教育のことばかり考えていても人格は高まりません。多くの人と関わり、さまざまなジャンルの教養を身に付けることです。


2020年11月29日日曜日

花だより 親子の横並び(同等)はよくない イチョウ

 

 親子の横並び(同等)はよくない
🤦‍♂️親がテレビを観ながら「勉強しなさい!」と言っても効き目はありません。がまん力を育てるためには、親もがまんすることが大切です。子どもが勉強しているときは、親はテレビを消すべきです。子どもにお手伝いさせるときは、自分は休んでいるのではなく別な仕事をすることです。
👀どんな集団にも秩序があります。秩序を維持するためにはリーダーが必要です。親は「そうだ、こうしよう」という方向を示すリーダーにならなくてはなりません。
😜横並びのグループは、何か問題が起こると右往左往するばかりでちっとも前に進むことができません。家族という集団の中で、親子が横並び(同等)になるのはよくありません。趣味や娯楽なら横並びで楽しめます。あるいは食べ物なら平等に分け合うことができます。しかし、何から何まで横並びだと、いざ問題が起こったとき子どもは親の言うことを聞きません。自分と横並びだと思っている親がお説教をしても子どもは聞き流してしまいます。
😒最近は子どもが「オッハー」と言うと、親も(先生も)「オッハー」と応える風潮があります。子どもが「オッハー」と言っても、親は「おはよう」と言うべきでしょう。毎朝「オッハー」「オッハー」とやっている親が突然「あれはいけません」などと言っても子どもは「何言っているんだ。」ということになってしまいます。
👍「おはよう」と答えれば、親は各上になります。家庭内でのリーダーは常に親であることを教える必要があるのです。「子どもに勉強しなさい。」と言いながら、自分はソファで寝そべって週刊誌を読んでいれば友だち関係(横並び)というより格下に見られます、あんな親の言うことを聞いても仕方ないというふうになってしまうのです。これでは子どものがまん力を鍛えるどころではありません。


2020年11月28日土曜日

花だより その行事何のため 教師の自己満足? キチジョウソウ タラバガニ

 

  その行事何のため 教師の自己満足?(教育評論家の意見)
 たとえば、卒業式ひとつとっても、かなり準備に時間をかけているが本当のいいのでしょうか?それがすべて悪いとか、無駄だとは申しませんが、もう少し簡略化したり、短縮したりできることもあるのではないか?
 在校生が「お兄さん、お姉さん ありがとう!」と呼びかけをします。あれは要るのでしょうか?わざわざ式典で半ば強制的に言わせるのがどうなのかという点と、それなりに練習等でも時間がかかっている点です。
 「ありがとう」は、言いたい子が式のあとで個別に言えばいいのではないか、たいていは担任の先生が書いた台本を児童が暗唱しているだけでしょう。主体的ではありません。
 行事をはじめ各教育活動が、「そもそも何のためにあるのか?」というところを再確認すると、今のままで本当にいいのか、考えていけると思います。やること自体が目的化していないでしょうか。
《修学旅行はどうでしょうか?》
 実際のところは、「修学」よりも「旅行」のウェイトが大きくなっていたりはしないでしょうか。単に観光名所やテーマパークに行って楽しかったというところがメインになっていないか心配ですし、準備や当時の負担も相当なものです。
 ある先生は「修学旅行は思い出づくりです」とおっしゃいました。「素敵な思い出ができるのはいいことだと思いますが、でも、学校は旅行会社ではないですよね。」と申し上げました。
 修学旅行のもう一つの問題は、家庭の経済的負担の重さです。中学校、高校なら5、6万円~10万円前後まであると聞きます。都内の公立小学校でアルマーニの制服が8万円という報道があり、話題になりました。制服は何年も着れますが、修学旅行は数日で使い切ってしまいます。なぜ、修学旅行は高いという問題を学校内で話題にならないのでしょうか。
 例年そのくらいだからということで、十分検討することができていなかった。それに、高いと感じても、保護者の中には言い出しにくい方もいるかもしれません。そのあたりも学校はよく考えるべきです。






2020年11月27日金曜日

花だより 子どもや保護者が教師に求める「けじめ」 アザトウナ 蜜柑

 

 子どもや保護者が教師に求める「けじめ」
《1:授業の終了時間のけじめ》
 教師は、生徒に厳しく時間厳守を指導します。一方、教師の時間厳守はどうなっているでしょうか?
 子どもからの不平不満の一番は、終了時刻が過ぎても授業が終わらないことです。自由に過ごせるわずかな休み時間を奪われるからです。
《2:職員室での飲食に「けじめ」を!》
 学校で子どもたちは、勝手にお菓子を食べたり、ジュースを飲んだりすることはできません。遠足で子どもたちが浮かれるのは、学校生活の中で自由におやつを食べられるという非日常体験ができるからです。
 ところで教師は?職員室でお菓子を食べたり、コーヒーを飲んだりしている学校も多いはずです。飲食をすべて禁止すべきだとは言いませんが、休み時間や放課後など、子どもたちが職員室を出入りする時間帯だけでも控えるべきです。
《3:言葉遣いに「けじめ」!》
 子どもが教師に「ため口」をきき、ぞんざいな言葉で話しかけてきたら、教師は言い直させるはずです。しかし、逆に、子どもに対する教師の言葉遣いが問われるケースは稀です。
「来い!」「急げ!」「この野郎」「バカ」…など、聞くに堪えない言葉遣いをする教師を見たことがあります。こうした教師は例外でしょうが、子どもや保護者は「丁寧な優しい言葉で話してほしい」と言葉遣いの「けじめ」を求めるものです。
《4:机上の整理・整頓に「けじめ」を!》
 「机の中やロッカーを整理・整頓しろ!」と注意しますが、職員室の机上は、書類や本が散らかっていて教頭や校長から注意を受ける教師もいます。整理・整頓の「けじめ」が求められています。
《5:教師の服装にも「けじめ」を!》
 「ズボンを下げて『腰パン』にしたり、靴のかかとを踏みつけたりすると注意される。Tシャツ短パンで授業する先生もいるのに」子どもや保護者からこうした「服装のけじめを求める」意見を聞いたこともあります。
 自分の言動を振り返り、良くない点は改める。こんな教師の姿勢こそ、生徒指導の第一歩だと思います。




2020年11月26日木曜日

花だより 過保護や過干渉はやめる 見守る勇気・待つ勇気を持つ サフラン

 

  ~過保護や過干渉はやめる 見守る勇気・待つ勇気を持つ~
🤷‍♂️少子高齢化が進み、子どもと年寄りが威張っていると言われています。共働きが増え、一人っ子が多く、それも0歳児から施設に預けられ、子どもと接する時間が少ないせいか、どうしても甘やかす傾向にあるようです。
😒子どもの進む先の障害物を先回りしてどけたり(過保護)、一歩一歩にあれこれ指示をしたり(過干渉)していることが原因かもしれません。子どもが好きな物を見つけるまで待ち、できるだけ子どもの力を信頼し、それを見守り、力づけることが大切です。あれこれしないで見守ることは、モノを買ってやったり、何かをしてやったりするより、ずっと難しく愛情がいることです。
👀また、親は自分が子どものために考えたことは正しいと思いがちですが、必ずしもそうとは限りません。自分の思いや考えを押しつけるのではなく、まず子どもの言い分をじっくり聞き、子どもの気持ちをしっかり受け止めてから、一緒に考え一緒に学んでいく姿勢が大切です。子どもが自分で考え、勇気をもって行動し、達成感を味わう、または失敗から学び強くなるチャンスを子どもから奪わないようにしてあげることです。自分で考え、自分で行動できる人に育てる。自立を支援することが親の務めです。(「イキイキ子育て」より)
 
  


2020年11月25日水曜日

花だより AIが子どもたちの将来を奪う? 楓

 

 AIが子どもたちの将来を奪う?
 大きな社会変化は起きています。アフターコロナは、さらにそのスピードが増すそうです。グーグル、アップル、アマゾン、フェイスブック、中国のファーウェイ、アリババといったテクノロジーの巨大企業が、地球規模とも言えるようなビックデータを集め、恐るべき資金集積力を活用し、コンピュータサイエンス・テクノロジーに巨額の資金をつぎ込み、これまで想像もつかないようなネットワーク化された社会を構築しようとしています。
 2030年代あるいは2040年頃に汎用AIが出現するという予想があります。そうなれば人間の労働の多くはAIによって代替されてしまうと言われています。その兆候はすでに始まっています。2030年以降には、その規模が半端なものではなくなります。ドローンや自動運転が普及すれば、運転手は必要なくなり、小売業だけではなく運送業にもほとんど人はいらなくなります。コンビニも無人化になりそうです。
 今の子どもたちが社会に出たときにAIに職を奪われてしまう危機感をつのらせています。弁護士、税理士、医師などの一部の仕事もAIで代替可能なことは、今でもすでに指摘されています。技術進歩が経済成長と雇用の減少を生み出すのは普遍則です。
 汎用AIが出現する2030年以降、「需要不足による失業」が増加し、AIに代替えできない仕事を持つ人が労働可能人口の約1割になり、残り9割は仕事がなくなってしまう事態になってしまいます。それを21世紀における新たな「役立たず階級」の出現として危惧している歴史学者もいます。また、AI社会では、企業が淘汰されていく危険も大きいと指摘しています。
「AIが絶対できないお笑い芸人になる。」と言った子がいました。「お笑いのネタもAIで考える時代になっているかも?」、「そしたらAIをつくる人になる。」と言いました。


2020年11月24日火曜日

花だより テレ東ベスト1番組 彼岸花

 



  日経スペシャル 「カンブリア宮殿」「時代の鏡」村上 龍
 番組の最後「編集後記」で村上 龍が何を語るか?これを楽しみに見ている。
11月19日は、「リサイクル革命」エコリング代表の桑田一成氏だった。
~テレビで見る東京の夜景はとてもきれいだけれど、その中で働いているのは、大企業のエリートたちだ。彼らに勝とうと思ったら、知名度も規模でも劣る私たちは、彼ら以上に働くしかない。
 いつか必ず大企業になって、彼らと同じように「東京の夜景を構成する一員になろう。」と昔はそう言った。
 しかし今、様変わりしてしまった。「大企業のエリート」は、本当に一握りの人たちになり、しかも将来に怯えている。
 エコリングは時代の中にいる。対価だけでなく、勿体ないという理由で、別の人に品物を譲る。「リユース」時代の鏡だ。~
😍作家なので文章は上手いのは当たり前だが、バックに流れる音楽も含めて、番組の余韻に浸る時間が何とも言えなく良い。テレ東ベスト1の番組だと思う。


2020年11月23日月曜日

花だより 今こそ「耐える力(我慢すること)」が大事 竜胆(リンドウ)

 

 今こそ「耐える力(我慢すること)」が大事 
🤦‍♂️どんなに文明が進歩しても、病気をはじめ、家庭の不和、仕事上のトラブルはつきません。人は、不運を嘆き、相手を責め、周囲を恨むものです。しかし、何かのせいにしている間は、本当の意味で問題が解決することはありません。
 どうしたらよいか、分からなくなると我慢できずにパニック状態になる子
 特に甘やかされ、わがままいっぱいに育った子どもは、何か思い通りにならないことがあると、たちまちパニック状態になります。しかし、世の中は一歩家の外に出ると、むしろ思い通りにならないのが当たり前です。誰しも学校、地域、職場と、世間の仕組みや周囲の人々と折り合いをつけながら人間的に成長していくものです。そのために学校があるのです。
 甘やかされて育った子に反抗期はないそうです。反抗期を経験せずに大人になると、社会に出て、ちょっと上司から注意を受けただけで音を上げて辞めてしまう若者が多いそうです。家庭や学校は、社会に適応できるように準備する場でもあります。そして、そのために欠かせないのが、「耐える力(我慢すること)」をつけてやることです。豊かな時代だからこそ、我慢することを覚えさせる必要があります。それが自分をコントロールする第一歩です。
👀生活にゆとりがなくなると自分のことしか考えられなくなり、相手のことを推しはかる奥ゆかしさとか謙虚さがなくなります。コロナ禍の今、まさに耐える力、我慢することが大事です。


2020年11月22日日曜日

花だより これからは一人一人に合った教育をAIがやってくれる? ピラカンサ

 

 
 これからは一人一人に合った教育をAIがやってくれる? 
 昔の職人さんは、師匠から「見て覚えろ!技を盗め!」と言われたものです。一人前の職人になるのに10年の修業は当たり前でした。手取り足取り(細かいところにまで行き届いた世話をするさま。何から何まで丁寧に教えるさま)教えてもらうことはありません。しかし、今はそんな時代ではありません。学校では集団の中での学習効果を期待されます。それはそれで効果はありますが、技術(スキル)を身に付ける最も効果的な方法は、個人レッスンです。現在活躍している野球選手やプロゴルファー、卓球の選手などのスポーツ選手は、子どもの頃から、親の手取り足取りの個人指導によって、超一流になった選手がいます。
 これまで学校では、1つのクラスに複数の教員が入って指導したり、少人数に分けて指導(習熟度別)したり、場合によっては“個別指導”もしてきました。しかし、これから導入されるICTを活用した教育で、教育内容は劇的に変わります。
 ベテラン教師の経験と勘でやっていた授業をAIを使って効率よくやるようになります。PCを使いこなす若い教師がベテラン教師の指導力を遥かに超えることでしょう。
 ただ教育では、ベテラン教師の子どもたちと毎日接することから生まれる勘(感覚)も大事なのですが、その勘もAIは学ぶことができるのでしょうか?
 これだけ文明が発展しても新型コロナウイルスの感染を食い止めることができていません。AIの言うとおりに人は動かないようです。