「人として大切なことは、大学という最高学府ではなく、幼稚園の砂場の中で学んだ」
ロバート・フルガムの言葉にあるように、入学前の経験・体験は、小学校での学力(?)を大きく左右するといいます。ですから、幼稚園やこども園では、体験活動を重視しています。毎日、近くの公園に散歩に出かけ、砂場で遊び、暑い日には水遊びをします。農園作業もするし、養蜂場で採蜜作業の体験もしました。
《自然や社会体験から人は学ぶ》
戦後、新教育がうたわれ、アメリカ流の進歩主義教育運動が盛んになったとき、体験を重視したカリキュラムに対して「はい回る経験主義」という批判が浴びせられ、「学力低下」をもたらした原因だと攻撃されました。近代以降、新教育運動としてたびたびみられたカリキュラム改革(コアカリキュラム)は、そのたびに「学力低下」論によって批判され、下火になりましたが、やっと今、生活科や総合的な学習の時間の定着で、見直されてきています。
現代は、パソコンなどの進歩で、写真や映像などの疑似体験が主流になりつつあります。しかし、それで本当にカバーできるのでしょうか?
▼水は、じょうろで植物の上からやる?(教科書の絵がそうだから)
▼画面に映し出されるバーチャルな戦闘シーンの画像では、体の痛みは分からない。
▼家庭で炎(火)を見たことがないので、キャンプのとき火をつかもうとした子がいた。
本物の体験には絶対敵わない!
“目に見せて、やって、聞かせて、させてみて、ほめてやらねば 人は育たず”
(山本五十六訓)
「体験」は、行動すること自体を指します。「経験」は、行動した上で、知識や技能が身に付けることです。つまり、「体験」を通じて結果的に学びを得た場合、それが「経験」になるということです。ただ、やればいいということではないのです。
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