自分は本当に優秀な教頭先生に恵まれたと思っている。優秀な教頭とは、校長の意を体して、目配り、心配り、気配り、忖度ができる人である。しかし、そんなスーパー教頭ばかりではない。ましてや教頭不足の時代である。教頭をどう育てるか、校長の重要な努めである。
自分は教頭時代、4人の素晴らしい校長に巡り合い、多くのことを学んだ。特に佐藤典男校長は、朝の打ち合わせが長かった。校長室からなかなか出てこないので、職員室に居た先生から、「毎朝、何を話しているのですか?」と聞かれたことがあった。
打ち合わせは、行事の確認だけでなく、職員一人一人について、校長会議や教育委員会の話題など、多岐にわたり、校長としての考えを伺った。また、パソコンがやっと普及し始めの時で、校長講和の原稿から、研修録などの巻頭言、学校経営計画の年度の重点など、ベタ打ちの原稿を渡され「直しておいてくれ」と頼まれた。今でいうスピーチライターのようなことをしていた。
こんなことが続くと、いつも気にするようになり、校長は何を考えているか、こうなったら、うちの校長なら、こう言うだろうな。と分かるようになった。
夕方5時近くになると、教育委員会に足を運ぶのも毎日の日課だった。何をしに行くのか?教育委員会に行ったとき、「うちの校長毎日来て、何を話していくのですか?」と聞いたことがあった。「教頭先生の話もよく出ますよ。」と言われてドキッとした。「教頭先生の悪口を言っていく校長先生もいますが、そんな校長先生は、自分の評価を下げますよ。お宅の校長先生は、いいですよね。」と言われたことを覚えている。
「明なれども察に及ばす 寛なれども縦に至らず」
物事はすっかり分かっていても、細かいところをあまりとやかく言い過ぎてはいけない。また、寛大であっても締めるところは締め、放縦(ほうしゅう:思うままにふるまうこと)に任せてはならないという戒めです。明にして寛、リーダーの教訓である。
また、ある教育長からは、「理で解き、法で押さえ、情で動かす」が管理職の心構えだと教わった。多くの人から、多くのことを教わり、助けてもらって、校長になったはずだ。そのことを教頭に伝えるのが、校長の努めだと思う。
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