2022年11月20日日曜日

花だより おじいちゃん、おばあちゃんの常識 ミセバヤ

 

  今年のこども園の発表会は、一家族4名としました。昨年は、コロナ対策で密を避けるため2名までに限定しました。すると「じいじとばあばが、見れなくて寂しがっていた。」という声があって、3回に分けて開催するなど、感染対策を徹底して、おじいさん、おばあさんにも見てもらえるようにしました。
 今は、核家族化が進んで、行事の時くらいしか孫に会うことがないので、子育てに祖父母は参加していません。これは社会の常識を伝えられる人たちが子育てに参加していないということです。若い人全て常識がないということではありませんが、常識とは、広い意味で日本の文化を支えている考え方です。文化は世代から次の世代へと手渡しのように伝わっていくものなのですが、残念ながら伝わらずに薄れていっているように思います。

 日本の文化を子どもたちに確実に手渡すなら、手渡す人は2人より、祖父母を入れた4人、6人の方が確かです。核家族の時代にあっては、私たちが大切にしたい文化を次の時代に伝達できる人が半減してしまったということになります。「食べながら歩くのはだらしない。」とおばあさんが家にいたらきっとそう言うでしょう。「歩きながらものを食べるのはみっともないと思う人もいる。」と分かることが大切なことです。常識を伝えるということは、こういうことです。
人には、周りの人に不快な思いをさせない責任があります。これがマナーです。理屈でそんなことを学ぶより、顔をしかめるおばあちゃんの表情を思い浮かべて止めるという方がはるかに強いものがあります。年寄りの言うことは聞かなければなりません。責任とは人に押しつけるものではなくて、自分で引き受けるもの、素直にそう思えるのが常識というものです。
 ただし、「今のおじいちゃん、おばあちゃんが、そうした常識を持っているか?」と言われないようにしなければなりません。

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