小学校に訪ねてきた人がいました。外見で障害者だと分かりました。校長室で話を聞きました。たどたどしい話し方で、「小学校のときの〇〇先生に会いたい。小学校のときが一番楽しかった。中学校では、特支だった、その後、専門学校を卒業して就職したが、どこも長続きしなくて、今は家にいる。」持っていたカバンの中には、小学校の卒業アルバムが入っていました。話を聞いてあげると、その後、毎日のように来るようになりました。さすがに困って、親に連絡して事情を説明すると、「うちの子は、障害手帳を持っていないので、就職するときは、同じ扱いになるので、他の人たちと一緒に働くのは難しい。自分たちも歳を取るので、いつまでもこの子の面倒を見ることはできない。」と困っていました。成人になってから、障害手帳を取得するのは難しいと聞いたので、関係機関に何とかならないか、電話して聞いてあげたことがありました。
持参していた卒業アルバムから、当時の担任に連絡をして、「〇〇君を覚えているか?」と聞いてみました。「特別支援学級相当の子だったが、保護者の強い要望で通常学級で受け入れることになった。『学級みんなで〇○君を支えよう。』ということを目標に取り組んだ思いで深い学級です。」と当時の思い出を熱く語りました。非常に熱心で優秀な教員であったことが伺われました。その子にとっても一番幸せな日々であったに違ありません。常に卒業アルバムを持ち歩いていたことからも分かります。
しかし、世の中そんなに甘くはないのです。教育は、自立の基礎を養うことだとすると、親も教師もこの子のためにと思ってやったことでも、本人のために本当によかったのか?、特に特別支援教育は難しい?
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