2023年10月31日火曜日

花だより 学校の統廃合問題 センブリ 胡桃

 

 学校の統廃合問題
 少子化が一気に進み、オホーツク管内にはかつて200校の小中学校があった。しかし、現在は120校まで減ってしまった。「運動会も学芸会もなくなって寂しくなった。お祭りには、神社の境内ですもうをとったり、子ども神輿もあったり、楽しかった。」と地域の年寄りは懐かしむ。
 児童数の減少は、小規模ゆえに目立つ。その変化に気付いた保護者たちが、町の中心校へといち早く我が子を移そうとする。昔は、地域が一丸となって学校存続を願ったが今はそうではない。「早く統廃合を進めて、子どもたちが大きな学校で学べるようにしてほしい。」と行政に訴えるようになった。
 学校統廃合の起因は、自治体財政の減少やその学校の教育内容にあるのではなく、人々の不安の増大のようだ。もちろん、中には子どもの数がみるみる減っていく現状を見かねて、市町村側から進める統廃合もあるが、そうしたケースでもやはり、その底流に保護者たちの不安があるから統廃合が進むわけで、地域から「学校を残してほしい」という抵抗の声が強く出れば、行政は無理な統廃合を進めず様子を見守るのがふつうである。そうして残った学校も結局数年後には統廃合となる。しかし、最近は、こうした統廃合をめぐる背景が大きく変わりはじめた。
 オホーツク管内の多くの町村では、小学校と中学校が1校である。1学年1学級でクラス替えもない。保育園、幼稚園も1か所なら、中学を卒業するまで10年以上も、同じ集団で過ごすことになる。
 中学3年生に「なぜ、地元の高校に進学しないのか?」と尋ねると、「高校生活くらい新しい仲間と過ごしたい。」と答える。その気持ちも分かる。地方の町は、地元高校の存続問題も抱えている。

2023年10月30日月曜日

花だより 江戸文化に学ぶ シコンボタン 椎茸

 


 江戸文化に学ぶ ~五感を磨いて「六感しぐさ」~ 
 江戸商人はわが子たちを、知識と同時に視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚の五感を鋭敏に研き澄まして育つように心がけていました。すべてのものごとを自分で感じ、自分で考え、自分の言葉で話す自立した人間を育てるように努力したのです。「観る」「聴く」「読む」「書く」「話す」、機転が利かないと馬鹿にされました。
 「打てば響く」、鐘や太鼓がたたけば即座に鳴るように人間も打てば響く、つまり気配りをして、即行動する機敏さが尊ばれました。言葉をキャッチボールするセンスもその一つでした。
 自分で自分を守るために五感は敏感でなければなりません。何かことが起ころうとしたとき、起こったとき、この五感をフル回転させ、瞬間的に総合的判断して、ひらめく能力を第六感と言い、江戸の町はこの「ロクの利く」人たちの集合体だったのです。
 江戸の町が美しいと言われたのは、建物、壁の色、町並み、松や柳などの植物の美しさ(ハード)とともに、そこに住んでいた江戸っ子たちが、空気の汚れ、樹木の生育、暑さ、寒さに敏感に反応して手当をした(ソフト)からなのです。その敏感さが商いには何より必須条件でした。商いでなくても、生きるための敏感さは自己の危機管理に能力を発揮するはずです。
 文明の発達で便利重宝に慣れすぎ、動物としての本能や敏感さを年々失って鈍感になってきてしまった現代人。自然への畏敬も忘れ(畏敬の念が無くなると自然からの予告や警報を体感できなくなるそうです。)、人への思いやりもだんだん失ってきてしまった私たちに自ら警報を鳴らしたいと思います。
 三代住んで江戸っ子の資格ができるとされてきたのも、この第六感を磨いて磨いて磨き抜くには三代かかるということなのです。(NPO法人江戸しぐさ理事長 越川禮子)
 時代が進むにつれて社会が成熟するとは限りません。文化水準は、江戸町民の方が高かったかもしれません。「ハロウィン期間中は、渋谷に来ないでください」そう言わなければならない今の東京の現状を江戸時代の人たちは、どう思うでしょうか?

閉鎖になるパークゴルフ場

2023年10月29日日曜日

花だより 日本人のマナーは、かなりいい加減 ハロウィンカボチャ ヨメナ

 


「こころの強い子」は成績が伸びる 多 湖  輝著より
 ・・・電車の中で座らない・・・
 情けない話ですが、日本人のマナーはかなりいい加減になっているようです。車内で携帯電話をかける。ものを食べる。食べた後の袋や箱を床に捨てる。お化粧をする。お年寄りが立っているのにしらんぷり、どれも日常的な光景です。
 電車に家族4人連れが乗ってきました。空いている席は優先席だけでした。家族はその前に立ちました。お母さんが姉妹に「座る?」と聞きましたが、子どもたちは「この席はお年寄りの席だよ」とはっきり言って座るのを拒否しました。いい子だなと思いました。
 次の駅で若い女性が2人乗ってきました。彼女たちは立っている子どもを押しのけるようにして優先席に座ってしまいました。そのとき子どもは何を感じたでしょうか。
 近距離の異動ならなるべく座らない。そういう習慣を子どものときからつけさせることが大切です。もちろん長距離のときは別です。そうすることでがまん力が育つし、子どもの体力もバランス感覚もついていくのです。
 電車に乗るとまず空席を探す若者がいますが、たいてい目に力のないのが気になります。夜更かししているのでしょうか。体力もなさそうです。若者は若者らしく立っている方が、凛々しくて快活に見えるものです。
 ところが、電車のマナーを田舎の子に話してもピンときません。乗ったこともないし、いつでも座れます。モノを買うのに長い行列ができることもありません。マナーは、生活体験の中で身につくものですが、田舎だとそんな経験をすることはないのです。ただし、田舎のいいところは、ハロウィンだからといってバカ騒ぎはしません。

2023年10月28日土曜日

花だより テレビは見た方がいいと思います。 リョウビュ アキチョウジ

 

「うちはテレビを見ていません。(見せていません)」という家庭があります。テレビは「悪」だと思っているのでしょうか? 
 直接体験だけの知識には限界があります。行ったことのない世界の出来事をテレビで知ることができます。見例えば、ウクライナやイスラエルの様子を見ることができます。小職は、世界どころか、国内でも行ったことのないところがあります。伊勢神宮や出雲大社、足立美術館は行ったことがありません。一度は行ってみたいと思っています。行ってみたいと思ったのもテレビで見たことがきっかけです。
 就学時健康診断の知的検査がありました。検査の中に、船(客船)、電車の絵がありました。田舎の子なので、実際に乗ったことも、見たこともない子がほとんどです。でも、ほとんどの子が「絵本で見た、テレビで見て知ってる。」と言います。人の知識量は、直接体験よりもむしろ間接的な本やテレビなどから情報を得ることの方が多いかもしれません。
 くだものを「フルーツ」と答える子が何人かいました。本園では、ALTに来てもらって英会話を楽しむ取り組み「わくわくEnglish」をしています。その成果かもしれません。
 一度見たり、聞いただけで覚えられる子も中にはいますが、ほとんどは繰り返すこと(ドリル的)で覚えていきます。毎日の積み重ね、言葉がけが大事だということです。また、それぞれの子で反応、興味関心が違います。集団の一斉指導だけでなく、その子にあった個別指導が大事になります。就学前の子は、発達障害というより発育のスピードの違い、経験値の違いが大きい。点数が低いから、特別支援学級該当の子とは言えません。
 子どもの発育には、家庭環境が最も影響しますが、子育ては、社会で担うようになると、これからは幼児施設の役割がますます重要になってきます。


 

2023年10月27日金曜日

花だより 随筆「らんまん」 フジバカマ 野菜の収穫

 



 9月のある朝、園の玄関前にあるプランターの花の世話をしていると、保護者が「園長先生、お花が好きなんですね。『らんまん』の牧野万太郎(牧野富太郎植物博士)と何か関係があるのですか?」と尋ねられました。「いや、残念ながら、ありません」と答えると、隣にいた3歳の女の子が、「園長先生は、なぜ、お花を取っているの?」と聞いてきました。「咲き終わったお花を取ってやると新しい花が、次々と咲いてくるんだよ」と教えてあげると、「どうして、いろいろなお花あるの?」、「どうして、色がみんなちがうの?」、「どうして?」が矢継ぎ早に飛んできました。これは大変だと思い、「先生やお友だちが待っているから、早く入りなさい」と言って、その場を逃げました。
 NHK連続テレビ小説「らんまん」は9月で終了しました。主人公の牧野万太郎のモデルになった植物学者牧野富太郎のことは、小学生のとき、担任の先生から、「牧野君と同姓の偉人がいます。是非伝記を読みなさい」と言われて読んだ記憶があります。その内容はすっかり忘れていました。こうしてテレビで脚光を浴びることになって、誇らしく思う反面、烏滸がましくも思います。そこで改めて、牧野博士のことをネットで調べてみました。
 「雑草という草はない」
 当時20代だった山本周五郎がインタビューで「雑草」という言葉を口にしたところ、牧野博士はなじるような口調で次のようにたしなめた。
「きみ、世の中に〝雑草〟という草は無い。どんな草にだって、ちゃんと名前がついている。わたしは雑木林という言葉がキライだ。松、杉、楢、橡、柏、みんなそれぞれ固有名詞が付いている。それを世の多くの人が〝雑草〟だの〝雑木林〟だのと無神経な呼び方をする。もしきみが、〝雑兵〟と呼ばれたら、いい気がするか。人間にはそれぞれ固有の姓名がちゃんとあるはず。ひとを呼ぶ場合には、正しくフルネームできちんと呼んであげるのが礼儀というものじゃないかね」
 SDGsの先駆け的な思想を当時から持ち合わせていたといえます。牧野博士の人となりがよく表れている逸話です。
 私の務める訓子府町認定こども園わくわく園は、北見市の隣町にあります。7年前に開園した園舎は、2022年に「公共建築賞特別賞」を受賞した町自慢のこども園です。ですから視察者も多くいます。玄関先には、16個の大小様々なプランターに、ペチュニア、マリーゴールド、サルビアなどの花を植え、子どもたちや保護者、訪れる人を迎えています。その花の世話をするのが、毎朝の園長の仕事なのです。
 わくわく園の園歌の3番の歌詞には、〝花ってすてきだね 色とりどりに咲きほこり 心の中にも 花が咲く ぼくたち わたしたち 訓子府に生きる 風の子 雪の子 大地の子〟とあります。子どもたちには、「花は美しい それがわかる心が美しい」という話をしています。花の季節は終わってしまいましたが、心に咲いた花は枯れることはありません。 「雑草という草はない」きれいに咲く花もいいけれど、道端に生える草にも気を留めなければならないと思います。



2023年10月26日木曜日

花だより 子どもの「どうして?」「なぜ?」を大切にする キキョウ 松茸

 


 凡庸な教師は、ただしゃべるだけ!
 
子どもの「どうして?」「なぜ?」を大切にする!
 「どうして葉っぱが落ちるの?」「どうして緑から黄色や赤や茶色に色が変わるの?」「どうしていっぺんに変わらないの?」「どうして緑のままの葉っぱがあるの?」「落ちた葉っぱはどうなるの?」「葉っぱが落ちても木はだいじょうぶなの?寒くないの?」矢継ぎ早に質問してくる子がいました。
「勉強ができる。」とは、ただ「成績が良い。」ということではありません。宿題をいやいや1時間かけてやっても何の効果もありません。それより、子どもを「やる気」にさせることが重要です。
「どうして?」「なぜ?」が学習の始まりです。やる気が起きると、子どもは、何も言わなくとも自ら学ぼうとします。学力低下を招いたことから、生活科や総合を批判する人がいますが、生活や総合こそが学力向上の鍵を握っているのです。生活科のねらいは、「自立の基礎を養う。」ことにあります。私たち教師は、“子どもの心に火をつける偉大な教師になる”努力をしなければならないのです。



2023年10月25日水曜日

花だより SDGs 後始末をさせる オヤマリンドウ 柿

 

 
   SDGsは後始末をさせることから始める~
 コップやボタン、おもちゃなど、形ある物はみな壊れます。そんなとき、多くの親は子どもの不注意さに腹を立て、自分でサッと後始末をするものです。
 しかし、自分でできる範囲内で後始末させるのです。たとえば、飲み物がこぼれたら雑巾で床を拭かせ、コップが割れたら床の掃除をさせるといったことです。
 さらに、子どもに物を修理する技術を教える。かなづちの使い方、のりづけの仕方に始まり、子どもが大きくなるにつれてボタンの縫い付け方やすそのまつり方、電球の替え方などを教えるのです。
 技術によっては、幼い子にはまだ無理なものもあります。子どもの不器用さ、手先の動かし方、判断力などを考慮に入れながら教えることが重要です。
 修理の方法を学んだ子どもは、ものが壊れてもたいていの物は直せるということを学びます。そして、子どもが成長するにつれて、この教訓が人間関係にもあてはまることを学びます。
 子どもに修理して再び使う機会を与えましょう。子どもは物がつくられる工程を理解し、それが役立っていることに感謝の念を持つようになります。これは、持続可能な社会を目指すSDGsの考え方に通じるものです。


今年は資源確保のため漁を止めた

2023年10月24日火曜日

花だより 横からも、上からも、下からも見る モミジ ヒヨドリバナ

 


 ある人は「これは長方形だ。」と言い、ある人は「円だ。」と言う。円柱を真横から見るか、真上から見るかによって、物の見え方が変わるのです。

 大学では日本史を専攻しました。一応中学と高校と社会科の教員免許を持っています。日本史の担当教官の最初の講義が印象的で今でも覚えています。
 文献史学の資料となる文献のほとんどは権力者側から書かれたものである。そこに書かれてあるものが全て史実であるとは限らない。その資料の信ぴょう性の検証し、別な資料との比較したり、考古学からの裏付けが必要で、一つの資料だけで判断してはいけない。これが史学という学問である。歴史は暗記科目ではない。歴史にロマンを求めるなら歴史小説を読んでいればいい。
 横から見て、上から見て円柱と分かっても、底を見たら、穴があいているかもしれないし、全体的に汚れが付いている場合もあるのです。さまざまな角度から考察していくのが史学である。これは教師になってから、子どもの見取り(児童理解)に大きく役立ちました。
 退職したらゆっくり本棚の整理をしようと思っていました。百科事典をはじめ、40年も前の本が棚を占拠しています。今の時代、調べ物はスマホで簡単に済みます。辞書や辞典を開くことはなくなりました。思い切ってすべて処分することにしました。しかし、スマホで検索して、画面の最初に出てくるものが本当に正しいのか?というとそうでもありません。怪しいのもあります。どんなに時代は変わっても物の見方は変えてはいけないのです。



2023年10月23日月曜日

花だより 指先トレーニングは脳の発達に効果がある アキノキリンソウ カボチャ

 


 幼児期の指先トレーニングは脳の発達に効果がある
   指先を鍛えるとどんな効果があるのか?
 就学時健康診断に簡単な知的検査があります。その中に「簡単な模写」で「ひし形」と「らせん」を描く検査があるのですが、この通過率が悪いのです。鉛筆を正しく持てない、筆圧が弱い、手首が柔らかく動かすことができなを子が多いのです。
 【手先が器用になる】
 遊びの中でたくさん指先を使うことで、手先が器用になります。子どもにとって「器用」とは、日常生活で必要な鉛筆の持ち方やボタンの留め方、箸の使い方などの動作が上手にできることです。
 この動作に苦手意識があると、自分でしなくなり、イライラしてやったりするようになります。指先トレーニングで苦手意識を減らし、指先の動作をスムーズにできるようにすることが大切です。
 指先に力がつくと「書く、つまむ」などの動作が上手にできるようになります。小学校では、字を書くようになります。思い通りに字が書けなかったり、すぐに疲れてしまったりすると、勉強が苦手になってしまいます。
 【脳が刺激される】
 指先は、「第2の脳」といわれるほど脳と深く関係しています。指先には脳とつながる神経が多く存在するため、指を動かすことで脳が刺激され、思考力、言語力など、さまざまな能力が鍛えられます。
 指先を使うブロックや積み木などのおもちゃで遊ぶことは、脳を鍛えることになります。晴れの日は外で元気に遊ぶ、雨の日は、家でテレビゲームばかりしないで、ブロックなどで遊ぶことを進めます。天才棋士の藤井聡太八冠も小さいころブロックでよく遊んでいたそうです。



2023年10月22日日曜日

花だより 女性らしくなった吉田沙保里さん ナナカマド ツルウメモドキ 

 


 女子レスリング界最強といわれた吉田沙保里選手、引退後、テレビのバラエティ番組に多く出演するようになり、めっきり女性らしくなりましたが、超一流のアスリートから学ぶことはたくさんあります。
 アテネ、北京大会に続き、ロンドンでも圧倒的な強さで金メダルを獲得。まさに盤石の姿勢で3個目の金メダルを手にしたように見えました。しかし、実際はそうではなかったのです。試合後、感極まり人目をはばからず号泣しました。女王はかつてないほどに追いつめられていたといいます。
 「プレッシャーは今までで一番きつかった。試合前に眠れなくなることなんて初めてだった。正直、このオリンピックは厳しい。自分の進退も考えないといけないと思っていた。」というのです。それほど吉田選手は4年ぶりに喫した5月のワールドカップでの敗北が尾を引き、「トンネルを抜け切らない状態」だったのです。
 負けを知ることで、いろんなことを勉強させてもらった。
 攻め続けていたこれまでとは違った「賢いレスリング」をした。4年ぶりの敗戦は、吉田選手のレスリングを狂わせていた。しかし、一方では「今まで相手を研究をするということが少なかった。」という吉田選手は、頭で考えるレスリングを学んだのです。
 「負けを知って、いろんなことを勉強させてもらって気付かされました。勉強したことや良いことはどんどん自分に取り入れていって、負けることがあったら勉強して、それを繰り返して人は賢くなっていくと思う。明日からまたトレーニングしたい。」と語りました。
 勝ち続けてきた女王だからこそ知ることができた敗戦の重み、そこから得る進化への糧。吉田選手に限らず、オリンピック選手は、人並み外れた才能の持ち主ばかりです。しかし、才能だけでは、メダルを取ることはできないのです。血のにじむ努力の積み重ねと多くの挫折を乗り越えてきたことを子どもたちには知ってほしい。こうした話を伝えるべきです。金メダルをとったおもしろいおばさんではないのです。







2023年10月21日土曜日

花だより 不登校対策は変わった イチョウ シオン

 


  ≪不登校対策は変わった≫ 
 議員立法で2016年にできた「義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律」(教育機会確保法)は、じわじわと学校現場や家庭に影響を及ぼし、「学校に行きたくない。」と子どもが言えば、「いいよ、無理に行かなくても…。」というようになりました。この法律より、不登校の児童生徒の教育機会が確保されるようになりました。「不登校児童生徒の休養の必要性」を謳った点で画期的な法律です。
 文科省が示した基本方針では、「不登校児童生徒の支援に際しては、登校という結果のみを目標にするのではなく、児童生徒が自らの進路を主体的に捉えて、社会的に自立することを目指す必要がある」としました。学校復帰を前提にした過去の取り組みが根本的に見直されたのです。
不登校児童生徒が自宅においてIT等を活用した学習活動を行った場合の積極的な対応について
 不登校児童生徒が自宅においてIT等を活用した学習活動を行った場合の指導要領上の出欠の取り扱いは出席扱いとなります。(不登校で一日も出席しなくてもちゃんと卒業できます。)
 不登校生徒の中には、家庭にひきこもりがちであるため、十分な支援が受けられていなかったり、不登校であることによる学習の遅れなどが、中学校卒業後の進路選択の妨げになっていたりする場合があることから、学校や教育委員会が保護者と十分連携・協力しつつ、児童生徒の自宅における学習活動への意欲を引き出し、その結果を学校として適切に評価することをもって、児童生徒の社会的自立に向けて支援を一層推進していくとしています。
 「学校に行きたくなかったら、無理に行かなくてもいい。」そんな風潮が広まり、不登校の児童生徒数が過去最高になりました。いじめの件数も増える一方です。これからは、行政も学校も不登校生徒が増えることを覚悟するということです。
 今はより自由を求め、フリースクールや通信制の高校、定時制高校が人気だといいます。「高校にはいかず、大検(高校卒業程度認定試験)で大学に進学、今では立派な社会人」そんな成功体験をした人の講演がよく行われています。ところが引きこもり状態になり、犯罪を犯してしまうケースの方がもっと多くあります。
 「不登校」といっても千差万別です。そのほとんどは怠惰(生活の乱れ)です。「学校に行きたくない」「いいよ、行きたくなるまで待っていてあげるよ。」と言って、1週間以上休み続けると、学校にひき戻すことが非常に難しくなります。
 1年生の女の子が「学校に行きたくない。」と言ったら、お母さんが「うちの子、不登校になりました。本人から学校に行くというまで、学校を休ませます。」と校長に言いに来たそうです。「不登校、大半の責任は親」と発言した市長さんに批判が殺到しています。そういうことも確かにあるけれど、市長さんが言ったらだめでしょ!
秋の若松:フラワーパラダイス

2023年10月20日金曜日

花だより 有田和正先生を思い出す ユウゼンギク

 


 
有田和正先生を偲んで
 秋になって研究会シーズンを向かえると何故か、有田和正先生を思い出します。
~向山洋一氏、野口芳宏氏、そして有田和正氏は、不世出の3名人と呼ばれています。およそ、授業の名人は、教育技術に多くの目が注がれがちですが、実のところ、その本質は、その人の生き方そのものにある気がします。いわば人生観であり、そこに、教師として同じ志を共有したい、同じ道を歩みたいと強く心惹かれてやまないのです。だからこそ、名人と称され、師とあおぐのです。
 《有田先生の有田先生たる代表的な語録》
◎追究の鬼を育てる。「教材開発」「授業のネタ」「はてな?」などの言葉を教育界でメジャーにしたのは、まぎれもなく有田先生です。有田先生の「はてな?帳」の実践は、よく知られているところです。
 子どもは好奇心の固まりである。その好奇心を心地よく揺さぶり、育て、追究することの面白さを充分に体得させていくことで、子どもは追究し続ける。それにしても、「鬼」を育てるのですから、その指導力たるや並ではありません。有田先生の優れた指導を持ってして、初めて子どもは「追究の鬼」と化すのです。
◎授業は布石の連続である。「布石の連続」とは、毎日の一時間一時間の授業をきちんと行い、子どもに着実に力を付けていくということです。「布石」とは、囲碁から生まれた言葉であるが、布石があると、腕は確実に上達していくのです。授業もまた然りで、計画的・継続的にその時その時の基礎となるものをきちんと指導し、鍛えていくことが肝要なのです。
◎スイカはおいしいところから食べる。授業もまた同じ。スイカを食べるとき、端から食べる人がいるだろうか。大抵、まん中からガブリと食べる。有田先生は、授業もまたそれと同じであると言う。おいしいところをドーンと与えるからこそ、子どもは食いつき、熱中し、追究し続け、満足感を味わうのです。
◎材料七分に腕三分 授業は、教材の質にあると言う。質が悪ければ、子どもは全く食欲をそそられない。常に新鮮なネタを用意し、それを料理し、発問を工夫することで子どもは熱中して学びの虜となるのです。
◎知識は眼鏡である。知識がなければ物は見えない。昨今、基礎基本の重視が強く叫ばれていますが、有田先生は、ご自身が現場で教壇に立たれているときから、このことを実践の中で終始言い続けていました。基礎的な知識がなければ、いつまでたっても「何も見えず」のままなのです。
◎一時間で一回も笑いのない授業をした教師は逮捕する。有田先生は、常にユーモアのセンスを磨くことを教師修行・人間修行のひとつとして実践されてきました。一番大事なユーモアは、「笑うこと」だと言い切っておられます。 笑えるということは、面白いことを理解できる大事な能力なのです。 上記の言葉も、ユーモアを交えて我々教師へそのことを教えてくれています。
◎努力は人に見せるものではない。一流と言われる人は、みなそうです。有田先生は、この姿勢を貫かれました。有田先生の魅力の中枢は、実はこの人生観にあるのです。
◎鉛筆の先から煙が出るスピードで書きなさい。ノートは、学習を支える大切な道具。ノートは第2の脳みそだ。ノートがぐちゃぐちゃな子は、頭の中の整理もできていない。これじゃ賢くなれるわけがない。
 有田先生と最後にお会いしたとき、77歳でしたが、お元気で、前日の懇親会でもよく食べ、よく飲み、よく語っていました。翌日は、午後からの講演でしたので12時40分までに会場に来られる予定でしたが、時間になってもきませんでした。ホテルを出て、午前中に網走の監獄博物館とガラス工芸館、講演のネタ探しに地元のスーパーを回って来たというのです。旺盛な探求心と行動力は、まだまだ健在でした。
 「有田先生は、講演でいつも同じことを言いますがなぜですか?」と質問した先生がいました。それに対して「プロ野球の選手でも、キャッチボールからはじめます。プロでも基礎基本は、大事なのです。大事なことは繰り返さないといけないのです。基礎基本(教師としての心構え)を疎かにするとよい教育はできません。」と答えました。
 新卒の先生がこの研究会に参加していました。「あのおじいさんただ者じゃない!」と言いました。時代は変わり、タブレットで授業するようになりました。有田先生は、何とおっしゃるでしょうか?

2023年10月19日木曜日

花だより 授業参観:プロの視点 栗 ホトトギス

 

 ≪授業参観:プロの視点≫
 秋は研究会の季節です。文部科学省の教科調査官(視学官)や大学の先生、教育局の指導監や指導主事と一緒に公開授業を見て回る機会が多くありました。全国を回り、経験豊富な先生方は、一つの学級わずか数分の参観で、その学級の様子、教師の力量がわかるといいます。
 ~授業の見方~
 ①まず教室を見渡す。(学習環境の確認)
 ②子どもたちの姿勢を見る。(授業への集中度、学習ルールの定着度)
 ③教師の振る舞い、言葉遣い、発問の仕方、表情を見る。
 ④板書の構成、字の丁寧さを見る。
 ⑤ノートをチェック(前時までの学習の確認)する。
 ⑥掲示物をチェック(子ども作品、作文や観察ノートなど、掲示の仕方、工夫など)する。
 ≪なぜ研究授業や研究会を開催するのか?≫
 最新の研究主題や研究仮説を立て、教材研究をして授業に臨むことは当然なことですが、思い描く授業をするためには、それを支える学習環境の整備や子どもたちの訓練(学習ルールの定着)が大事です。研究会のほとんどは10~11月に集中します。その準備は4月に遡って(学習のルールの指導や教室環境整備など)始まります。4月からの学級経営が試されます。公開研をやればやるほど教師力は上がります。

2023年10月18日水曜日

花だより わが青春の思い出曲(追悼 谷村新司さん) 紅葉 オオケダテ

 


 わが青春の思い出曲 アリスのメンバーでシンガーソングライの谷村新司さん逝く
 若い人は、24時間テレビに加山雄三と一緒に「サライ」を歌う白髪のおじいさんというイメージでしょう。谷村氏は、「昴(すばる)」とか「チャンピオン」「冬の稲妻」など、多くの名曲を残しました。私たちの世代の青春そのものでした。山口百恵さんが歌った「いい日旅たち」が一番の思い出曲です。
〝雪解け間近の 北の空に向かい 過ぎ去りし日々の夢を 叫ぶとき 
  帰らぬ人たち 熱い胸がよぎる せめて今日から一人きり 旅に出る
   ああ~ 日本のどこかに 私を待ってる人がいる
    いい日旅立ち 幸福をさがしに 子どもの頃に歌った 歌を道連れに…〟

 この歌詞は、「きっとどこかに出会いを待っている人(子どもたち)がいるはず。」という気持ちを表現しています。転勤する先生方を送別するのにぴったりの曲で、みんなでよく歌ったものです。
 谷村さんは生前、「どんな思いを込めて曲作りをしていますか?」と聞かれ、「私の曲を聞いて、何を感じるかは、聞き手の皆さんの自由です。私は、淡々と作るだけです。」と答えています。
 日本だけでなく世界中にファンがいました。「『昴』の歌詞でも歴史や文学などのインテリジェンスが詰まっていた。普遍的なものを歌にしているからこそ、国境を越え、幅広い国の人たちから愛された。」と音楽関係者は高く評価しています。誰にでも、好きな歌手や思い出の曲、心の支えになった曲、大切にしている曲があると思います。特に歳を取ると、青春時代の曲を思い出します。

 


 

2023年10月17日火曜日

花だより “いのち”を伝える サルビア

 


  “いのち”を伝える  秋田市大森山動物園長 小松 守 氏
 長い間、動物園で動物の子育てを見続け,“いのち”を伝えることについて考えてきました。動物たちは自然が創りあげた巧妙な子育ての仕方を見失うことなく、淡々と命をつないでいきます。お乳は、子の腹を満たすだけでなく、親子の触れ合いをつくり温もりで心にも栄養を与えるのです。たっぷり愛情を受け、子は生きる力を身につけ成長します。やがて親になり自分が経験したことを子に伝える。実に単純ですが、そこに大事なものがあります。“Education”の語源には「お乳で育てる」とあります。“いのち”の教育、その始まりは親子の触れ合いです。“いのち”は命からしか伝わらないのです。
 ~うさぎを飼う(生活科の学習)~
 低学年の生活科に小動物を飼う学習があります(ありました)。そのねらいは、生き物をただ眺めて観察するだけでなく、手で触ってみたり、抱いたり、水や餌をやったりという活動から、生命をもっていることや成長していることに気付き、生き物への親しみをもち、大切にすることができるようにするものです。乗馬で心身の回復を図るなど、生き物との接触が心の安定に良いことはよく知られているところです。優しい心はこんな活動から、自然に生まれてくるものです。
 この学習には、“うさぎ”が適しています。子どもたちは、「うわあ~、かわいい。ふさふさで気持ちいい。」とうさぎに直接触れます。ところが思った以上に筋肉や骨でごつごつしていることに気づきます。心臓の鼓動を感じます。餌の食べ方、うんこの仕方まで詳しく観察します。ずっと観ていても飽きません。子どもたちは目を細めて観ています。
 ところが教員の働き方改革でうさぎを飼うのを止める学校が増えました。


2023年10月16日月曜日

花だより 学校は、子どもの居場所になり得るか? イタドリ 林檎 秋の網走湖

 

 ≪子どもの居場所≫
 教師に気に入られるために、よい子でいなければ学校に居にくくなる。一部のお気に入りの子ども以外は、居ても居なくてもよい存在になりかねない。教師はもちろんそのことに気づいていて、すべての子どもたちにしっかりと向きあおうとする。そうするとますます教師は多忙となる。教師のメンタルヘルスの悪化は、このようないたちごっこのような循環があるように感じる。
 そのような厳しい環境ではあるが、教師は授業を持っている。子どもが楽しいと目を輝かせ、できないことができるようになったという実感を持ち、楽しい、分かる授業を教師はしたいと思う。そのような授業の場こそが子どもたちの最高の「居場所」だろう。
 このようなことは、別に私が指摘しなくても、ほとんどの教師が、そして子どもたちが知っていることである。しかし、授業が居場所として機能しにくくなる場合がある。それは休み時間や放課後などの自由な時間での同級生とのかかわり合いの中で、居場所を見いだせるかどうかが、子どもたちの授業へモチベーションに影響する場合がある。授業時間以外の場への目配りは、多忙な教師ほど余裕がなく手薄になる。子どもたちと雑談をしあえる時間の確保は、多忙な教師には極めて難しい。ましてや、授業以外の見えないところまで、あれこれ考える心と時間の余裕などない。
 学校だけではない、家庭においても同じである。大人の忙しさは、子どもをさびしい気持ちにさせ、居場所感を減じさせることになる。朝早く出かけ夜遅く帰宅する父親、せわしなく動き自分の話をしっかり聞いてくれない母親、両親の多忙さが子どもの自尊心低下につながるという指摘がある。
 しかし、父母が仕事や家事から解放されて子育てに十分時間を割くことができた時代が今までにあっただろうか。そのかわりに、祖父母や親戚、多数のきょうだい、近所の同世代の子どもたちが、幼子の面倒を見、子どもの育ちを見守り、切磋琢磨して成長するコミュニティ(居場所)がかつてはあった。このような場が、現代社会では学校とならざると得なくなっている。子どもの減少や親戚関係の縮小、近所づきあいの希薄化の中で、学校はコミュニティの育ちを保障するための居場所にならざると得ないのだが、学校や教師にそんな余裕があるだろうか?
     
網走湖
                 



2023年10月15日日曜日

花だより 幼児施設長のあり方(めざす姿) ショウメイギク 

 

 


「ぜんほきょう」(幼児施設の業界誌) 10月号 施設長のあり方(めざす姿)より
                    洗足こども短期大学 教授 井上眞理子
《施設長に求められる3つのポイント》
1 園の中だけでなく、園の外への視点を広げ、とくに保育業界を取り巻く現状について知
 識を得ること。新しいことに触れる機会を増やしていくことを、これまで以上に意識しな
 ければ、周囲に後れを取る。
2 自園をしっかりとマネジメントする力を身に付ける。社会の変化を受けて様々な価値観
 が共存し、複雑化していくことへの対応として、多様性を受け入れ、まとめていく力が必
 要となる。
3 人材確保と育成について、単に人を増やせばいいということではなく、保育の質と維
 持・向上させるための人材の獲得と、人材の可能性を引き出し活かす方法を考える。その
 ためには外部に上手に発信していく手腕も必要となる。
  多くの幼児施設を見学していると、園全体がマネジメントされていないと感じる。たま
 たまコミュニケーション能力の高い主任やリーダーがうまく立ち回りながら、人をつないでどうにか回しているけれど、マネジメントの必要性や意義や効果に気付いていない園が多い。これは各園の体質というよりも、保育業界に特有の特質であり、業界全体のマネジメントにおける基本的な理解が、まだ駆け出しの状態だからです。
《保育の魅力と本質を発信する》
 保育士を志す若者は、クリエイティブで質の高い仕事をしたいと思っています。ところが実習に行った園が、子どもの主体性が尊重されていない保育を行っていたり、ICT等による業務改善があまり進んでいない園にいった学生は、働く場所としてどうかな?と疑問に感じるようです。
 保育士は、クリエイティブで、かつ未来へ発展していける業種だと発信することが大事です。園の取り組みをきちんと発信していれば、学生には就職したい園だと、保護者には子どもを通わせたい園だと、思ってもらえます。ここにさまざまな課題を一気に解決するカギがあります。
北見菊祭り(10月14日)菊人形

 

2023年10月14日土曜日

花だより ひき算の発想 コスモス かぼちゃ②

 

 ≪“ひき算”の発想≫
 学校の働き方改革は待ったなしですが、なかなか進んでいません。現に過労死や過労自殺で亡くなっている教師が後を絶ちません、精神疾患等になる人も増えています。授業準備をする時間がないという教員は9割、生活にゆとりがないという教員も7割もいます。これでは、いくら新学習指導要領で高い理念や21世紀に通用する資質や能力の育成を掲げたところで足元がおぼつきません。
 これまで文部科学省は、“〇〇教育”や“〇〇指導”など、あれもやれ、これも必要だと、どんどん増やしてきました。この背景には社会のニーズも強くあったのですが、学校教育にあれもこれも求める“たし算”的思考でした。中教審の特別部会で検討したのは、おそらく史上初めてかもしれない“ひき算”的発想です。
 具体的に教員の負担軽減として、今思い切って行うべきことは次の3点です。
(1)環境と勤務条件の整備 
 ・定数の増加、一人当たりの授業時数の削減、行事の内容の見直し
(2)教員以外のスタッフとの連携 
 ・月に1~2回しか来ない専門職や週に2~3回の外部指導者では、調整等で逆に負担   
 が増える。頻度を高くするか、教頭、教員の業務の一部を代替えするアシスタントを付 
 ける。
(3)教員が軽くしてもよい仕事の明示
 ・教育委員会からの調査依頼、文書作成依頼、活用されていない会議や研修、研修レポー
  トの作成等を一度中止する。学校外の問題行動は、家庭や警察が対応するように啓発す 
  る。
  *とにかく思い切ったことを早くやるべきです。

収穫が終わった訓子府の畑

2023年10月13日金曜日

花だより 子どものプライドって何? かぼちゃ③ ショウカイドウ

 


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子どものプライドって何?
 中学校の授業についていけない生徒に、学力がどのレベルまで達しているのか調べたかったので、小学校の問題を解かせてみた。ところがあとでこの生徒の親が学校に抗議に来た。
「小学生の問題を解かされて、子どものプライドは傷つけられた」という。
 この親が考えているプライドとは何と小さいものなのでしょうか。勉強に限ったことではありませんが、わからなくなったら立ち止まって考え、わかるところまで引き返してやり直すのが基本です。
 お母さんは子どもに「わかるところまで引き返せたのだからよかったじゃない。わからないまま先に進んでしまったら、戻るのに苦労したわよ」と言ってあげてほしかったです。
 引き返すのをこわがる小さなプライドなら、一度壊してしまった方がいい。この子の親は、プライドというよりむしろ「子どものメンツがつぶされた」ということに腹を立てているのです。そして、そんなことをさせた先生や学校に責任を押しつけてしまっているのです。
 人間誰でもプライドは持っています。子どもには子どものプライドがあります。でも、そのプライドは、経験を積み重ねながら強くしっかりとしたものにしていかなければなりません。ときにはこなごなに打ち壊されて、強くなっていくのがプライドです。学校や先生が悪いと責任を人に押しつけているだけでは、この先もちょっとしたことで傷つけられたと思いこんでしまうようなガラスのプライドになってしまいます。そんなプライドは、強く清々しく生きていくためには何の役にも立ちません。(多胡 彰)