いじめ問題やSNS上の誹謗中傷、フェイクニュース、生成AI、チャットGPTの使い方も、人間の道徳心、規範意識、倫理観の問題である。
ところが道徳教育がうまく機能していると思っている人はほとんどいない。道徳教育の充実が不要であると考えている人もほとんどいない。しかし、道徳を「教科化」するとき、反対だという人が結構がいた。こうした人々は、道徳の「教科化」が「修身教育の復活」となるからダメなのだという。では、修身教育のどこがダメなのか。教員の中にも「修身教育の復活」反対を声高に主張する人がいたが、修身教科書をまともに読んだことがない。こうした根拠の乏しい「感情的」な批判が「修身科=悪玉論」となった。そして、道徳教育論議が戦後「思考停止」させてしまったのは残念なことだ。
戦後教育は修身教育の功罪を検証することなしに、「感情的」な入り口論でしか道徳教育に向き合ってこなかった。「賛成か反対か」入り口論に終始することで、あるべき道徳教育の理念、内容、方法といった本質的な課題にまで議論は及ばなかったことが、現在のこうした問題を生んだのかもしれない。
やっと道徳の教科書ができて、道徳が学校現場に定着しつつある。根拠のない「感情的」な議論に時間を空費する余裕はもはやない。現代的課題に対応する道徳教育の「真の創造と充実」が急務である。
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