秋になって研究会シーズンを向かえると何故か、有田和正先生を思い出します。
~向山洋一氏、野口芳宏氏、そして有田和正氏は、不世出の3名人と呼ばれています。およそ、授業の名人は、教育技術に多くの目が注がれがちですが、実のところ、その本質は、その人の生き方そのものにある気がします。いわば人生観であり、そこに、教師として同じ志を共有したい、同じ道を歩みたいと強く心惹かれてやまないのです。だからこそ、名人と称され、師とあおぐのです。
《有田先生の有田先生たる代表的な語録》
◎追究の鬼を育てる。「教材開発」「授業のネタ」「はてな?」などの言葉を教育界でメジャーにしたのは、まぎれもなく有田先生です。有田先生の「はてな?帳」の実践は、よく知られているところです。
子どもは好奇心の固まりである。その好奇心を心地よく揺さぶり、育て、追究することの面白さを充分に体得させていくことで、子どもは追究し続ける。それにしても、「鬼」を育てるのですから、その指導力たるや並ではありません。有田先生の優れた指導を持ってして、初めて子どもは「追究の鬼」と化すのです。
◎授業は布石の連続である。「布石の連続」とは、毎日の一時間一時間の授業をきちんと行い、子どもに着実に力を付けていくということです。「布石」とは、囲碁から生まれた言葉であるが、布石があると、腕は確実に上達していくのです。授業もまた然りで、計画的・継続的にその時その時の基礎となるものをきちんと指導し、鍛えていくことが肝要なのです。
◎スイカはおいしいところから食べる。授業もまた同じ。スイカを食べるとき、端から食べる人がいるだろうか。大抵、まん中からガブリと食べる。有田先生は、授業もまたそれと同じであると言う。おいしいところをドーンと与えるからこそ、子どもは食いつき、熱中し、追究し続け、満足感を味わうのです。
◎材料七分に腕三分 授業は、教材の質にあると言う。質が悪ければ、子どもは全く食欲をそそられない。常に新鮮なネタを用意し、それを料理し、発問を工夫することで子どもは熱中して学びの虜となるのです。
◎知識は眼鏡である。知識がなければ物は見えない。昨今、基礎基本の重視が強く叫ばれていますが、有田先生は、ご自身が現場で教壇に立たれているときから、このことを実践の中で終始言い続けていました。基礎的な知識がなければ、いつまでたっても「何も見えず」のままなのです。
◎一時間で一回も笑いのない授業をした教師は逮捕する。有田先生は、常にユーモアのセンスを磨くことを教師修行・人間修行のひとつとして実践されてきました。一番大事なユーモアは、「笑うこと」だと言い切っておられます。 笑えるということは、面白いことを理解できる大事な能力なのです。 上記の言葉も、ユーモアを交えて我々教師へそのことを教えてくれています。
◎努力は人に見せるものではない。一流と言われる人は、みなそうです。有田先生は、この姿勢を貫かれました。有田先生の魅力の中枢は、実はこの人生観にあるのです。
◎鉛筆の先から煙が出るスピードで書きなさい。ノートは、学習を支える大切な道具。ノートは第2の脳みそだ。ノートがぐちゃぐちゃな子は、頭の中の整理もできていない。これじゃ賢くなれるわけがない。
有田先生と最後にお会いしたとき、77歳でしたが、お元気で、前日の懇親会でもよく食べ、よく飲み、よく語っていました。翌日は、午後からの講演でしたので12時40分までに会場に来られる予定でしたが、時間になってもきませんでした。ホテルを出て、午前中に網走の監獄博物館とガラス工芸館、講演のネタ探しに地元のスーパーを回って来たというのです。旺盛な探求心と行動力は、まだまだ健在でした。
「有田先生は、講演でいつも同じことを言いますがなぜですか?」と質問した先生がいました。それに対して「プロ野球の選手でも、キャッチボールからはじめます。プロでも基礎基本は、大事なのです。大事なことは繰り返さないといけないのです。基礎基本(教師としての心構え)を疎かにするとよい教育はできません。」と答えました。
新卒の先生がこの研究会に参加していました。「あのおじいさんただ者じゃない!」と言いました。時代は変わり、タブレットで授業するようになりました。有田先生は、何とおっしゃるでしょうか?
《有田先生の有田先生たる代表的な語録》
◎追究の鬼を育てる。「教材開発」「授業のネタ」「はてな?」などの言葉を教育界でメジャーにしたのは、まぎれもなく有田先生です。有田先生の「はてな?帳」の実践は、よく知られているところです。
子どもは好奇心の固まりである。その好奇心を心地よく揺さぶり、育て、追究することの面白さを充分に体得させていくことで、子どもは追究し続ける。それにしても、「鬼」を育てるのですから、その指導力たるや並ではありません。有田先生の優れた指導を持ってして、初めて子どもは「追究の鬼」と化すのです。
◎授業は布石の連続である。「布石の連続」とは、毎日の一時間一時間の授業をきちんと行い、子どもに着実に力を付けていくということです。「布石」とは、囲碁から生まれた言葉であるが、布石があると、腕は確実に上達していくのです。授業もまた然りで、計画的・継続的にその時その時の基礎となるものをきちんと指導し、鍛えていくことが肝要なのです。
◎スイカはおいしいところから食べる。授業もまた同じ。スイカを食べるとき、端から食べる人がいるだろうか。大抵、まん中からガブリと食べる。有田先生は、授業もまたそれと同じであると言う。おいしいところをドーンと与えるからこそ、子どもは食いつき、熱中し、追究し続け、満足感を味わうのです。
◎材料七分に腕三分 授業は、教材の質にあると言う。質が悪ければ、子どもは全く食欲をそそられない。常に新鮮なネタを用意し、それを料理し、発問を工夫することで子どもは熱中して学びの虜となるのです。
◎知識は眼鏡である。知識がなければ物は見えない。昨今、基礎基本の重視が強く叫ばれていますが、有田先生は、ご自身が現場で教壇に立たれているときから、このことを実践の中で終始言い続けていました。基礎的な知識がなければ、いつまでたっても「何も見えず」のままなのです。
◎一時間で一回も笑いのない授業をした教師は逮捕する。有田先生は、常にユーモアのセンスを磨くことを教師修行・人間修行のひとつとして実践されてきました。一番大事なユーモアは、「笑うこと」だと言い切っておられます。 笑えるということは、面白いことを理解できる大事な能力なのです。 上記の言葉も、ユーモアを交えて我々教師へそのことを教えてくれています。
◎努力は人に見せるものではない。一流と言われる人は、みなそうです。有田先生は、この姿勢を貫かれました。有田先生の魅力の中枢は、実はこの人生観にあるのです。
◎鉛筆の先から煙が出るスピードで書きなさい。ノートは、学習を支える大切な道具。ノートは第2の脳みそだ。ノートがぐちゃぐちゃな子は、頭の中の整理もできていない。これじゃ賢くなれるわけがない。
有田先生と最後にお会いしたとき、77歳でしたが、お元気で、前日の懇親会でもよく食べ、よく飲み、よく語っていました。翌日は、午後からの講演でしたので12時40分までに会場に来られる予定でしたが、時間になってもきませんでした。ホテルを出て、午前中に網走の監獄博物館とガラス工芸館、講演のネタ探しに地元のスーパーを回って来たというのです。旺盛な探求心と行動力は、まだまだ健在でした。
「有田先生は、講演でいつも同じことを言いますがなぜですか?」と質問した先生がいました。それに対して「プロ野球の選手でも、キャッチボールからはじめます。プロでも基礎基本は、大事なのです。大事なことは繰り返さないといけないのです。基礎基本(教師としての心構え)を疎かにするとよい教育はできません。」と答えました。
新卒の先生がこの研究会に参加していました。「あのおじいさんただ者じゃない!」と言いました。時代は変わり、タブレットで授業するようになりました。有田先生は、何とおっしゃるでしょうか?
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