大学では日本史を専攻しました。一応中学と高校と社会科の教員免許を持っています。日本史の担当教官の最初の講義が印象的で今でも覚えています。
文献史学の資料となる文献のほとんどは権力者側から書かれたものである。そこに書かれてあるものが全て史実であるとは限らない。その資料の信ぴょう性の検証し、別な資料との比較したり、考古学からの裏付けが必要で、一つの資料だけで判断してはいけない。これが史学という学問である。歴史は暗記科目ではない。歴史にロマンを求めるなら歴史小説を読んでいればいい。
横から見て、上から見て円柱と分かっても、底を見たら、穴があいているかもしれないし、全体的に汚れが付いている場合もあるのです。さまざまな角度から考察していくのが史学である。これは教師になってから、子どもの見取り(児童理解)に大きく役立ちました。
退職したらゆっくり本棚の整理をしようと思っていました。百科事典をはじめ、40年も前の本が棚を占拠しています。今の時代、調べ物はスマホで簡単に済みます。辞書や辞典を開くことはなくなりました。思い切ってすべて処分することにしました。しかし、スマホで検索して、画面の最初に出てくるものが本当に正しいのか?というとそうでもありません。怪しいのもあります。どんなに時代は変わっても物の見方は変えてはいけないのです。
横から見て、上から見て円柱と分かっても、底を見たら、穴があいているかもしれないし、全体的に汚れが付いている場合もあるのです。さまざまな角度から考察していくのが史学である。これは教師になってから、子どもの見取り(児童理解)に大きく役立ちました。
退職したらゆっくり本棚の整理をしようと思っていました。百科事典をはじめ、40年も前の本が棚を占拠しています。今の時代、調べ物はスマホで簡単に済みます。辞書や辞典を開くことはなくなりました。思い切ってすべて処分することにしました。しかし、スマホで検索して、画面の最初に出てくるものが本当に正しいのか?というとそうでもありません。怪しいのもあります。どんなに時代は変わっても物の見方は変えてはいけないのです。
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