生徒指導は「あれも、これも」が大事
生徒指導では、ある場面でうまくいったことが、他の場面にも通じるかのように単純に広げてしまうのは危険です。ましてや世の中大きく変わっています。これまでの経験だけでは、生徒指導はうまくいきません。
例えば、問題行動が頻発する学校で、ただ褒めたり、カウンセリング的対応ばかりしていても、事態は好転しません。逆に、厳しいだけでも生徒は心を開きませんから、原因への対策も方針も適切には立てられません。このような偏った指導を放置しておいてはいけないのです。
逆の場合もあります。厳しい指導(「校則指導」や「規律指導」)をして、いまは落ち着いている学校だとします。すると多くの人が「この状態になったのだから、この状態を維持するためには、厳しい指導が必要だと考えがちです。本当は別の理由で落ち着いてきたのかもしれないのに、人は目に見えるものにとらわれますから、厳しい指導の成果だと思ってしまいます。
こうなると、ますます厳しさに拍車がかかり、校則や規律を守らせることが優先され、厳しい指導をしない教師にはダメな教師のレッテルが貼られます。落ち着いた学校になったのは悪いことではありませんが、問題はここからです。
落ち着いた学校とは、些細な問題なら子どもたち自身で解決できる、大きな問題(例えば「暴力」「授業妨害」「いじめ」など)であれば、教師の指導が通って解決できる学校のことです。問題が一切起こらずに今後も落ち着いた学校現場を維持するなどということは、到底ありえません。
ところが、この厳しい指導だけで落ち着かせていた学校は、既に生徒の心が先生たちから離れていていることが多く、大きな問題が起こったときには指導が通らなくなっています。生徒指導は、その根本に教師と生徒の信頼関係がないとうまくいかないからです。
信頼関係の底流には、「この先生の言うことなら従おう」「この先生には嫌われたくない」などという単純で素朴な感情があります。その感情が教師を尊敬していくことにつながるのですが、それがなくて生徒指導は絶対に成り立ちません。
「校則」や「規律」を優先する指導では、やがてその指導が目的化します。生徒の心を掴むことはできず、「暴力」や「授業妨害」などの大きな問題に対応できなくなり、学校は荒れていきます。ですから、「厳しい指導」だけではダメで、生徒から尊敬されるような人間関係をつくるには「あれも、これも」の指導が大事なのです。
月間「生徒指導」より
0 件のコメント:
コメントを投稿